オリジナル小説とイラストサイト

MENU

Master of the GAME

  • HOME »
  • Master of the GAME

Master of the GAME

 

「ひーめ。起きたら?」

コーヒーの薫りにトーストの匂い。ベーコンとスクランブルエッグ。これだけの匂いを用意すれば、起きるだろう、と、ローテーブルに並べる。ソファで毛布に包まって寝こけているこいつのためだ。

「ほら。夜に打ち合わせがあるから今日中に演出プラン作るって言ってただろう」

大サービスで、ほかほかのタオルを持ってくる。やや熱め、かも。

前髪がぐしゃぐしゃに飛び跳ねて飛び出している額には、滲んだ血が赤黒く乾いたガーゼがぺたりとつけられている。痛々しそう、と昨日は思ったものだが、日が高く上った午後にも近い朝には、さほどにも見えない。ガーゼを避けて目の上にタオルを置いてやる。そういえば、風呂にも入ってないな、こいつ。

「熱い。でも、気持ちいい・・・」

「起きた?」

「起きた・・・」

だめだ。語尾が完全にとろけている。まだ寝てるな。

周囲に散らかったボツ原稿らしき紙は黙認するが、「本体」はなんとか風呂に入れたい。

何せ、ここ1週間、泊り込み稽古で帰ってこなかった上、昨夜は、別の稽古現場でセットが崩れて怪我をした、とのスタッフからの電話で、結局、深夜3時を回ったころに、太市に送られて帰宅したものの、血が滲んだ包帯を巻いて、睡眠不足でふらふらの状態で「依嶋さん、あと、よろしく」と受け取ったという始末である。

「なんの現場だ、いったい」

崩れてくるようなセットは設計がきちんとできていないからだ、とぶつぶつ文句を言いながら、散らばっている筆記用具だけでも片付けようと集めると、ふと、テーブルの端から落ちたと思しきゲームソフトが目に入った。

「ふーん」

周囲のボツ原稿にも目を走らせると、なるほど、このゲームのバーチャルゲームイベントを遊園地で行うからその演出を、とのことらしい。

「姫。風呂沸かしてやろうか」

う~ん、ご馳走になります、と、いまいち、分かったような分からないような返事が返ってきた。

 @@@

うーん、いつの間に風呂に入ったのか。

目が覚めたらバスタブの中にいた。まさか依嶋が服をひっぺがしてて風呂に入れてくれたわけではあるまい、と思えば、少なくとも自分で服を脱いで湯船に入ったはずだ。

昨日の夜、家に帰ってきたか? 帰ってきた。それは覚えている。というのも、セットが崩れてきたのを体で受けてしまう羽目になり、救急車を呼ぶという現場のスタッフたちを押しとどめて、タクシーで病院へ行ったのを覚えている。額を縫うから、といわれ、局所麻酔を打たれ、それが睡眠不足の体に思ったよりもよくよく効いて、情けなくも酩酊したようになる予感を感じたところまでは覚えている。いや、そのあと、太市が「家に着きましたよ」と言ったところまでは覚えているか。その後、その後、その後・・・。

依嶋が太市からオレを受け取ったところ・・・を覚えているような、いないような。ここが記憶の限界か。

ざぶん、と湯の中に頭を沈めて反省。と、顔を上げた瞬間に「姫、このバカ、何やってんだ」と依嶋の声が飛んできた。

@@@

「縫った傷があるのに湯に顔をつけるなんてバカじゃないか」

依嶋のほうが頭から湯気が出そうなくらい怒って、その怒りとは正反対に、とにかく頭をタオルで優しく水分を吸い取るように拭いてくれる。

「よりしまー」

「何」

いえ、なんでもありません、と言いそうになるような、険しい語調ではあるが、まあ、そこは敢えて聞いておこうと思う。なにせ、深酒したとしても記憶まで無くすことはまず無いのだ。

「昨夜、オレは何時に、どうやって戻ってきたか、わかる?」

おお。予想通り、剣のある目でお叱りの意を表わしてきたぞ。

「午前3時過ぎに。太市の車で。太市に担がれるようにして」

「体質的に、麻酔に弱いんだよな。昔、胃カメラで麻酔使われたときに、まるで笑気ガスでも吸ったかと思われるくらい、笑いが止まらなくなったことがあったし」

傷口のガーゼまできれいに貼り替えてもらい、ネット包帯を被せてもらうと、ついでにこうも聞いた。

「あと、さっき、オレ、どうやって風呂に入ったっけ?」

「俺が身包み剥いで、風呂に突っ込んだ」

にやりと笑って依嶋にそう言われたときには、情けなくて参った。

@@@

うそだよ、ネット包帯だけ取って、タオルを渡したら自分でバスルームへ歩いていった、と言ってやると、姫は心底ほっとしたようにため息をついた。貞操の危機のように思ってるんだろうか、こいつ、と、ちょっとムッとする。

「とにかく、午後になったら病院行って診てもらってこいよ。風呂に頭突っ込みました、って」

「行かなくても大丈夫。化膿止めの飲み薬ももらってるし」

全く行く気が無さそうなのは、そこいらに散らばっている書類を集めて分類し、ボールペン片手に演出プランを立て始めたことで見て取れた。

急ぎの仕事なんだろうな、ということはわかる。互いの仕事は、互いの責任。傍でうるさく言っても、仕事の責任を代わりに取ってやれるわけじゃなし、これ以上は何も言えない。

「しょうがない、か」

メシ、どうするの、と聞くと、「悪い。後で」とだけ返ってきた。どうせ、このやりとりも、後になれば覚えていないだろうな。でも、悪いとは思ってるんだ、と、ちょっと微笑ましくなる。

「姫、コーヒー、置いておくぞ」

自分のカップを持って、ダイニングテーブルのほうへと移動する。雑誌を読みながら暫く過ごすと、「ひっ」とか、「うぇ」とか、変な声が聞こえ始めた。

「姫?」

リビングスペースを見ると、テレビの画面がなにやらおどろおどろしいものを映し出している。

「ホラー映画?」

呟いた瞬間に、「うぎゃ」と、何か潰れるような声が聞こえた。

「姫。おまえ、毛布なんて引っかぶって、何やってんの」

「うわぁあぁあ」

毛布を持ち上げると、お化け屋敷か、ここは、というような奇声を上げるので、こちらのほうが驚いた。

「あ・・・死んだ・・・」

画面を見ながら、ぽつりと姫が呟いた。まともな声に戻っていた。

@@@

「で、このゾンビゲームが問題のバーチャルゲームイベントの原作になるわけか」

『DEAD LOCK』と血の滴るロゴの描かれたゲームソフトのケースを指差しながら聞くと、見るもおぞましいという顔で姫が頷く。

「何が楽しくてこんなゲームをやるんだか。それどころか、なんで、こんなゲームをバーチャルで体験したいのかもわからん」

「わからん、って、でも、そのシナリオを作って演出するんだろう」

「太市から言われたときはこんなえげつないゲームだと知らなかったんだ」

一応、ソフトと一緒に入っているインデックスをさらっと眺める。

「要はシューティングゲームだろう」

「そうだけど。廃院だぞ」

「舞台はね」

「ゾンビが出てくるんだぞ」

「的がね」

「時折生きてる人間が出てくるんだぞ」

「そりゃ、撃っちゃだめだろう」

「怖くないのか」

「だって、ただのシューティングだもの。シチュエーションがなんであれ、撃っていいものと撃ってはいけないものとを区別して撃てば得点になる、っていうだけのことだろう」

姫が、「理解できない」という顔をした。何かおかしいことを言っているのかな、俺。

@@@

「だって、ただのシューティングだもの。シチュエーションがなんであれ、撃っていいものと撃ってはいけないものとを区別して撃てば得点になる、っていうだけのことだろう」

依嶋が、「何をぐだぐだいちゃもんつけているのか理解できない」という顔をする。

いや、だって、怖いじゃないか。腐って溶けかかったゾンビだぞ。どこから出てくるかわからなくて、廃屋になった病院の曲がり角手前で覚悟しながら用心していたら、いきなり手前のドアがガラスぶち破られてゾンビの腕が出てくるんだぞ。

そうかと思えば、ドアを開けたら、ゾンビが集団でこっちを向いて襲ってくるんだぞ。

それを、「的だから」の一言で片付けるのか、こいつは。

「それで、これ、今日中にやらなくちゃならないってわけ?」

依嶋がコントローラーを取り上げる。

「・・・今日中じゃない。今日の演出プランに必要なの」

コントローラーを取り返して、リスタートボタンを押す。

と、依嶋がリセットボタンを押した。

「あっ。何するんだ、依嶋。せっかくあそこまで行ってたのに!」

「すぐ行ってやるから」

最初の導入部のストーリー紹介から始まり、オレがとりあえず片目を瞑り瞑り見る隣で、依嶋は無表情に「次へ」ボタンを押していく。うんともすんとも言わず、ただただ機械的に。

「お」

「・・・おおっ」

「っ・・・わっ」

「わ~~~~っ!?」

ぎゃ、と言いかけて、依嶋がこちらをぎろっと睨む。

「・・・(スミマセン)・・・」

両手で口を押さえて、ミュートで頭をぺこりと下げる。が、見てやしねーし。

依嶋はすぐにテレビ画面に目を戻して、がんがん、ごんごん、バシバシ敵を倒していく。

「・・・話しかけてもいい?」

コントローラを操作する依嶋に、おずおずと訊く。

「いいよ」

「途中であれこれ拾ってるじゃん。あれ、何?」

「マガジンとか弾丸」

「銃の? あれ? オレ、武器ってナイフじゃなかったっけ」

「んなもん、いつまでもやってられるか。とっくに取り替えてるよ。そろそろ、もうちょっと口径の大きい銃が欲しいとこだな」

喋りながらも、なんだかすでに次のステージに移ったようで、テロップがだ~っと出ている。

「あっ、あっ、あっ。それ。何。ストーリーか?」

「そうみたい」

とにかく、メモ、メモ。ゾンビ倒すより、話の筋立てのほうが重要。

「姫。続き?」

依嶋がコントローラを差し出す。

「ああ、うん」

とりあえず受け取る。

「ほら、始まるぞ」

ドアを開け、「姫、装備して」

前進ボタンを押すと、「あっ、バカ、撃て」

発射ボタンを押したら、「そこにはいないって」

ゾンビだけかと思ってたら犬が飛びついてくるし、「バカだな、犬も避けないと」

犬だけかと思えば、「カラスだって、当然避ける」

すみっこで動く影があったから撃ったら、「あ。それ、だめ」

だって、ゾンビじゃない、生きてる人間が隠れてるなんて反則だろう!!

「だって、そういうゲームなんだもの。仕方ないだろう」

すっかり隣で依嶋が呆れている。

「蓮ちゃん」

「イヤだ」

「まだ何も言ってない」

「そういう声を出すときは、絶対頼みごとがあるときって相場が決まっている」

「一緒にゲームしよ」

「『一緒に』?」

コクコク、と首を振る。

「対戦モードがあるのか?」

「ちーがーうー」

コントローラを差し出す。依嶋が、すごーく面倒くさそうな顔をする。

「俺、仕事してたんだぞ」

「雑誌読んでただけじゃん」

「クライアントが出してきた希望なの」

ほら、と、読んでいた雑誌を見せる。わ。びっしりと付箋がついてる。しかも付箋に注釈が書き込まれている。

「めんどくさそう~~~~」

「だろ。だから、仕事中」

じゃあな、がんばれよ、と立ち上がりかけた依嶋の腰にかじりつく。

「なんでも言うこと聞いてやるから!」

依嶋がにやっと笑って振り返った。

@@@

「なんでも言うこと聞いてやるから!」

そこまでせっぱつまるか、と思うが、さっきの本気で怯えて横で見ていた姫は、結構可愛かったと思う。シューティングゲームは嫌いじゃないから、やってやることはやぶさかではないが、それ以上に、となりで、「ぎゃあ」だの「ひえー」だの言って騒ぐ姫を見るのも楽しそうだ。

「『聞いてやる』って何だ。随分と偉そうだな」

「ごめんなさい。『お聞きします』、『言うこと聞かせてやってください』」

そこまで卑屈になるか。

「何でも?」

「何でも」

俺にかじりついている姫の腕を外して、手をあわせて満面の笑みで言ってやる。

「じゃ、まずは、さっきの呼びかけは取り消してもらおうかな」

「へ?」

悠日、と付け加えてやった。

@@@

「え。それアリかよ」

思わず反論してしまう。

「だって、何でも言うこと聞くんだろう」

「聞くけど」

聞くけど、でも、それずる過ぎないか?

「不満げだなあ。いいよ。じゃあ、俺、仕事を」

「いや。待て、待て、待て」

手を握る。ちくしょう。離すもんか。

そのまま腕を掴んで、頭を抱え込み、唇を合わせる。

依嶋が何か言いかけたが、無視。

軽く、のつもりが、離れると、依嶋が耳まで真っ赤になっていた。つい、ちょっと本気になってしまった、かも。途端に、自分の耳も熱くなった。

顔を隠しているのか、額を押さえる依嶋の肩を指でつつく。

「なに」

機嫌の悪そうな声で依嶋が言う。

「お願いします。ゲーム、代わりにやってください」

素直に頼んでみる。依嶋はしばらく黙りこくっていたが、無言でコントローラを取り上げて、スタートボタンを押した。

@@@

「うげ」

「ほら、ちゃんと見て。ここで、こうして装備しておくと、ほら、持てるアイテムの数も上限があるみたいだから、この武器と弾いを組み合わせると、持ち数がひとつ余裕ができる」

「ああ。なるほど」

実況っていうか、解説をしてくれながらも、ゲームを淡々と進めていく依嶋。こいつ、普段の気遣いとか考え方とか、めちゃくちゃ繊細なくせに、こういうゲームが平気って、どういう神経してんだ? ニンゲン、いとも複雑な動物だ。

「姫。ぼんやりしてないでちゃんと見てる」

うわ。叱られるし。

「ゲームの仕組みというかルールは決まってるんだろう? 撃ったりするのはまさか、昔ながらの銀玉鉄砲じゃないよな」

「うん? バーチャルのほうか?」

「そう」

毛布に包まったまま、足で企画書を引き寄せて捲ってみる。

「ええっと。ゲームの仕様は・・・と。赤外線スコープだな。参加者が着るジャケットに受信器が組み込まれているみたいだ。・・・あ」

「なに?」

「今、依嶋が説明してくれたみたいな、武器とかの持ち数も書かれてる。コスチュームにポケットが7つついているので、そこに拾った弾装や快復のための薬を入れていける、だって」

「かなり忠実にゲームを再現しようとしてるんじゃない」

「・・・ふうん」

昨夜もらった企画書だから、ぜんぜん読んでいなかったけど、これ、面白いゲームになるかも。―― ゾンビさえ出てこなければ。

「姫、先、進めるぞ」

「あ。うん。お願いします」

と言いつつ、つい、企画書を読み進めてしまう。

なるほど、確かにゲーム仕様は、かなり元ネタに忠実に作られてるってわけだ。とすると、参加者をガイドするスタッフも、それなりに演技をつけなくちゃ面白くないってことだな。

@@@

頭が仕事モードになったな。

企画書を読みながらブツブツ言っている姫を見て思う。

「進めてて大丈夫か」

「うん。ちゃんと見てる。お願い」

つまらん。

シューティング自体はさほどテクニックがいるものでもないし、ゾンビは別に怖くないし(ただのグラフィックなんだから)、姫が騒いでくれないと。

・・・俺って、ある意味、S?

ちょっと自分に愕然とする。と、うわ、まずい。ゾンビにやられてるし。

慌ててコントローラボタンを連打する。

「これ、どのくらいで終わるゲームなんだろう?」

姫が企画書を読み終えたらしく、いつの間にか床座りで隣に戻ってきていた。相変わらず毛布を被っている。

「寒いの?」

「いいや。なんで?」

「毛布」

「ああ。叫び声上げながらゲームするのがかっこ悪いから」

笑いながら毛布を脱ぐ。

ばか。

「笑うな」

姫が小突いてくる。

「こら。やめろって。ゲーム、してやってんのに」

なんか、小学生の子ども同士が放課後遊んでいるような。

これって ―― なんだか、楽しい。

@@@

依嶋って、こんな子どもだったのかな。人気はあっただろうな。人当たりいいし。頼れるところもあるし。

オレたちの子どものころってテレビゲームってあったんだっけ? ああ、あった、あった。うちは親父がゲーム禁止派だったから、友達の家に入り浸って、それで帰りが遅くなって。親父にビンタ張られたのはあん時じゃなかったっけ。

うわ~~~~~~っ。なんだ、これ。死んだのに生き返って、しかも変形してるじゃん。しかも、分裂してるぞ。いつの間にか2体いる。

「依嶋、うしろ、うしろっ」

「大丈夫だって。わかってるから」

「やった! 倒した! ほら、次、行こ」

倒したの、俺ですけど、と依嶋が笑った。

―― なんか、めちゃ、楽しいぞ。・・・怖いけど。

@@@

カン、カン、カン、カン、と非常階段を上がっていく映像。

「なんか出るんだろ。階段の上から、とか、下から追いかけてくるとか」

「いないって」

「だって、これ、駆け抜けていけないんだろ。絶対、何か、うわあって出てきそうじゃん」

結局また、毛布を被って姫が俺の隣にぺったりくっついている。

なんでたかがCGの画像がそんなにこわいかな、こいつ。

「出ないよ。それやっちゃうと逃げようがないんだから。だから、こういうゲームでは、階段を上りきって部屋に出るか、外に出る、下りきって部屋に入る、みたいに、一通りの広さの場所に出てから敵がいるの」

「だって、映画とかだと、エイリアンがぐわあぁあ、って上から降ってきたり」

「だから、それは映画の面白さ」

「四谷怪談でも、お岩さんの戸板返しとか」

「それも、舞台ならではの面白さ。これはゲームなんだから、プレイヤーが得点できるように仕組まれていないとつまんないだろう」

姫の顔が、鳩が豆鉄砲食らったようにぽかんとする。

「なんだよ、姫」

「依嶋、おまえ、すごい」

「え?」

顔を姫のほうへ向けると、間近に姫の顔があった。

「さんきゅ」

キスされた。こういう不意打ちのほうが反則だと思う。

忘れないうちに、と、姫が急いで、何かメモをする。

おっと。ゲームも放っておけないぞ。赤くなってる場合じゃない。いまさらキスぐらいで、と思うけど、姫のこういう行動って、本当に予測不可能なんだよな。エイリアンもゾンビも比べ物にならない。

「姫、そろそろゲーム、クライマックスだと思うぞ」

気を取り直してコントローラを操作しながら言うと、姫がメモから顔を上げて俺のほうを向く。

「え。もう?」

ゲームが始まっているおかげで、顔を姫に向けなくて済む。絶対、まだ赤い顔してると思う。誰が向いてやるもんか。

「施設内はほぼ完璧に行きつくしたし、スタートしてそろそろ3時間超えるから」

「行きつくしたって、なんでわかるの。 こういうのって、徹夜で攻略、とかするんじゃないの?」

「うーん。敵をパーフェクトに倒すとか、アイテムを全部見つけるとか、ゲーム解説書を作るようにゲームの中身をすべて網羅するのが目的なら、時間をかけてとにかくくまなく

見て回らなくちゃいけないわけだから、徹夜でやるっていうこともあるかもしれないけど、あくまで最後まで行くっていうだけの目的なら3~4時間もあれば十分最後まで行けると思うな。大体のゲームは」

「そういうもんなんだ」

姫が考え込む。

「敵を全部倒す必要がないっていうのは?」

「ああ。だって銃弾には限りがあるし、倒そうとして粘るとこちらがやられる場合もあるから、倒さずに逃げられるときは逃げてしまえばいいから。たとえば」

姫のメモしている紙の裏を使って説明する。

「こういう建物の構造で、各部屋にはたぶん、1回ずつは行くけど、2度も3度も行く必要がないわけだ」

「うん」

「でも、各部屋を出たり入ったりしていくわけだから、廊下は何度も通るだろ。だったら、廊下にいる敵は、壊滅させておけば、その後、安心して出入りできる」

「全部倒して部屋に入って、次に出てきたら、どこかからまたゾンビが来ちゃってたりしないのか?」

「普通、ない。それはさっきの階段の上や下から敵が襲ってこないのと同じようなセオリーかな」

「どうして?」

「うーん。廊下に出るたびに敵が増えてたら、時間ばっかり食って、先に進むのが遅くなっちゃうしなあ。まあ、それもアリなのかもしれないけど。こういうゲームには大抵、タイムトライアルがあって、時間内にやり遂げることを競うプログラムもあるから」

「ああ。そうか。バーチャルゲームも、いつまでも中に人が入っていると次の参加者が入れないっていうこともあるしな。基本はお化け屋敷か」

考え込んでいた姫が、ふと顔を上げる。また不意打ちされないかと、どきっとしたりして。

「依嶋、ゲームは?」

「ああ。大丈夫。こうしてメニュー画面にしていれば、時間が止まっているみたいな設定になってるらしい、攻撃されない」

なーんだ、そういう手もあるのか、と姫が少し、肩の力を抜いた。

「お化け屋敷、って姫、おまえ、お化け屋敷に入れないだろ、そんな怖がりで」

「うるさい」

むくれて、毛布を被りなおす。

「姫、本当に寒くないのか。そんなにがっちり毛布を着こんで」

「画面暗いし、映像がおどろおどろしいし、なんか薄ら寒い気がするだけ」

「ほんとに?」

「ほんと」

このとき、すっかり忘れていた。昨夜、こいつは、縫わなきゃいけない怪我をしていたってことを。

「たぶん、ここを過ぎれば、ファイナルステージだと思う」

「なんでわかる?」

「ステージごとの敵がどんどん手ごわいのが出てきてるから」

そっか、と言って、俺の横で息を潜めて画面を見つめた。

「お化け屋敷、ってのはどういう意味なんだ」

「え?」

「さっき、『基本がお化け屋敷』って」

「ああ、あれね。お化け屋敷のお化けって、動かないだろ。人形はもちろんだけど、人間が演じているお化けも、基本的には待ち位置が決まってるじゃん。ゲームでも、依嶋が解説してくれたように、ここでは絶対出てこないから、っていうように、『出てくる場所』ってのは決まってるんだな、と。だとしたら」

インターバル。姫が頭の中で何かを整理しているしい。

「バーチャルゲームには、キャストというかスタッフがいるのさ。キャストっていうのは、ディズニーランドで言う、遊園地側のスタッフね。で、このバーチャルゲームでは、そのスタッフがリーダーとして参加者を引っ張って、迷路の最後まで行かなくちゃいけない」

「なるほど。じゃあ、ガイドがいるから、正直、参加者はどうやってても最後まで行けるってわけだ」

「それじゃあ、面白くないと思わないか」

あ。こいつ、なんか企んでるな。

楽しそうにこちらを見ている姫に、つい。

@@@

いきなり依嶋にキスされた。

ときどき、依嶋はこういう予測のつかないというか、面白い行動を取るというか、まあ、驚かされることが往々にしてある。

そのくせ、自分で赤くなって、すぐにオレから顔を背けてゲームに没頭する振り(振りじゃないかもしれないが)する。

オレ、なんで今、キスされたんだろう。そういういいムードあったっけ。お化けの話しながら、ゾンビゲームしながら、いいムード? ・・・わからん。

「ほら、姫。ここ、院長室って書いてある。絶対、ゾンビ化した院長がいるぞ」

言われて、思わず身を乗り出して ―― 失敗。

「うわあぁぁあぁあああああっ!」

机の前まで進んだら、いきなりどろどろになった院長が、机の下から飛びかかってきた。

「出てくるじゃないか! 不意打ちじゃんか!」

喚きたてたが、依嶋は平然とバズーカを2発ぶっ放した。

「あ。勝った。あっさり」

「いや、生き返る」

依嶋は、冷静に武器をチョイスし直す。いくつかの銃に弾も装てんし、「さて」と言って、画面を切り替えた。

くすぶっていた院長の死体(?)がゆら~と立ち上がって。

「生き返るなよ~~~~~~~!」

もっとグロテスクになってかかってこようとする院長から少し離れて、依嶋は落ち着いて部屋の中を移動していく。

「なんで撃たないんだ? 早く撃とう。飛び掛られるぞ、よりしまぁ!」

「っさいな。・・・間合いってもんがあるだろ」

院長がとびかかってきた瞬間に、依嶋が発射ボタンを連打する。最後に、画面を見ているヒマもないタイミングで武器を持ち替えて手榴弾らしき武器で爆破。

@@@

騒いだあとの静けさというか、なんというか。姫が右腕にしがみついて、画面を見ていた。

「ほんとにこれで死んだ?」

あ。我慢できない。笑いがこみ上げてくる。これはだめだ。

「ごめん。ちょっと、たんま」

コントローラを姫に渡して、横を向いてうつむく。口を押さえてはみるが、だめだ、止められない、かも。

笑いが吹き出す。ヘンに我慢したせいで、横隔膜が痙攣しそうだ。それより先に、喉に変な力が加わって、咳込んで止まらなくなる。

「げほ、ごほ、ごほん、ごほっ」

「依嶋? どうした?」

「だいじょうぶ、噎せただけ。・・・すぐ、止まる、から」

笑いが咳に押されて、姫から見ると、笑っているようには見えなかったらしい。怪我の功名。笑ったとなるといいわけも大変だし。このまま、誤魔化そう。

「だいじょうぶか? ほんとに?」

姫が自分の被っていた毛布を肩からかけてくれる。いや、ほんと、ごめん、姫。

「大丈夫、大丈夫。ただちょっと唾が喉にひっかかって、咳き込んだだけで」

ようやく顔をあげて姫を見る。

姫の顔を見た瞬間、結局、もう一度盛大に吹き出した。

@@@

目の前で腹を抱えて笑っている依嶋を見て、一体、なんで笑っているのかがわからず、依嶋の笑いが収まるのをぼーっと待つ。

人の笑いが止まるのってこういう段階を踏むのか、とまじまじと観察できた。のは、いいとして。

「はぁ。悪かった。もう、大丈夫」

「アルコール、飲んでないよな?」

「もちろん」

依嶋が、目尻にたまった涙を拭う。

「で、何がそんなに可笑しかったんだ?」

依嶋が毛布を持ち上げ、オレの肩にも毛布をかけてくれた。

「いや、ほんと、なんでもないから」

それより、と画面を指し示す。

「次、ラスボスと対決だから」

@@@

「いやー、楽しかった! さんきゅ、姫」

毛布の中でまだ縮こまっている姫にコントローラを返し、毛布から抜け出る。

ゲームが楽しかったというよりは・・・なのだが、そこは口にはしない。胸の裡でぺろりと舌を出して振り向けば、姫が、俺が抜け出したあとの毛布を体に巻きつけてソファにごろんと横になった。

「お礼を言うのはこっちのほう」

ありがとー、と、ふにゃふにゃした語尾で姫が言う。

「姫。なんか、顔、赤くないか」

「ん。寒い、か、暑い、か。よくわからん」

「熱か」

風呂に頭を突っ込んだせい、とだけは言えないだろうけど、ともかく、昨夜の怪我から来ている発熱だろうな。

「解熱剤、飲むか」

「うーん。やめておこう。風邪の熱じゃないし」

「痛みは?」

「まあ、我慢する」

我慢できる、じゃなくて、我慢する、か。

思わず顔が険しくなるが、本人がそう言うんだから仕方ない。

「打ち合わせまで寝るといい」

「・・・うん。6時に起こしてくれる?」

演出プランは、その場で話せばいいんだろう。たぶん、頭の中である程度、考えはまとまっているんだと思う。

「太市が一緒か」

「うん。お台場に8時。それまで太市と打ち合わせするから」

「じゃあ、太市が来たら起こす」

昨日処方された抗生剤だけ飲むと、そのまま毛布に包まってソファの上で蓑虫状態になる。

とりあえず、毛布もう一枚、追加。

@@@

まいったなあ、と目を瞑って横になりつつ思う。

依嶋が言うとおり、風呂に傷をつけたせいかなあ。いやいや、いくらなんでも、そうすぐには熱は出ないだろうから、何やってても熱は出たんだろうし。

とりあえず、頭の中で整理する。演出プランとして書類を作っている気力はないから、とにかく今日は、ひたすら喋ってくるぞ。あるいは、先打ち合わせで太市に喋って、太市に喋らせる。うん。それはいい案かも。

ストーリーはごく単純だな。病院の付属の研究施設で研究中のウイルスが突然変異、病院の患者、職員を巻き込んでアウトブレイク、ウイルスに対して開発された薬が研究施設と病院内のどこかにある、と。

ウイルスのせいでゾンビ状態になったやつらを倒しながら、開発薬を取って脱出すればWin、と。途中リタイアできる避難ポイントを作るのと、手助けするキャストはグループの前後に1人ずつつける。途中でどちらかを死なせるシナリオはアリかも。で、死んだキャストに代わるサブリーダーを参加者の中から選ばせる。

武器のグレードアップはできるのかな。赤外線銃は、威力の違いとかを判別して受信できるんだろうか。要確認。ガイド役のキャストがいれば、ゲームのコース全体が可視化されている地図は必要ないかどうかも要確認。

イベントを4箇所くらいで作って、そこでの小芝居の演出を入れて。うん。そんなところかな。

傷が痛いのか、熱のせいの頭痛なのか。昨晩までの寝不足がたたっているか。眠い――。

@@@

軽い鼾をかいて寝ているから、あ、本気で寝ているな、と耳を澄ましてちょっと確認。

それにしても、本当に面白かった。

いや、ゲームではなく、姫のあの反応。あれで、あのゲームをバーチャルに再現して演出するっていうんだから面白い。ゲームイベントが開催されたら、一緒に行かないと。

それにしても、結局朝から何も食べないまま、夜のミーティングに行く気か?

「太市が来たら起こすって言ったけど。ああ、そうか、太市が来たら、ここでミーティングさせて、食事も食べさせればいいんだ」

そんなことを考えつつ、自分の仕事も進めないと、と雑誌に目を向ける。そういえば、自分も朝から何も食べてないことに気づいたが、とりあえずコーヒーだけを新しく入れた。

太市が来たら、一緒に食べればいいか。

1時間ほどしただろうか。がさっと音がしてリビングのほうを見ると、いつの間にか姫が起きている。

「ごめん。起きてたのか。気づかなかった」

「いや、こっちこそ、ごめん。仕事、集中してたみたいなのに」

周囲に散らばした紙を集めながら姫が言った。

「熱は?」

「まあ、テキトーに」

笑って見せるくらいのゆとりはあるようで、安心する。

「おかげで、演出って何をどうすればいいかも、なんとなくわかったよ。さんきゅ」

「ゲームしただけだから」

「オレなんて、見てただけだけどな」

ソファに行って、横に腰を下ろそうとすると、ほんと助かった、と言って、真正面から小さなキスをくれる。それ褒美か? 喜んでいいのか悪いのか。

いや、間違いなくうれしいんだけど、それを隠して、とりあえず。

「食事、どうする。何も食べないまま行くか? 太市が来たら食べながらここでミーティングするか」

「んーーーー」

ボールペンでコリコリと鼻の頭を掻きながら考えて、「今、食べていく」。

朝のトーストをサイコロに切って、同じく朝のベーコンと卵を、冷えたサイコロのパンと一緒に再度フライパンで炒める。ふたりでちゃっちゃと食べ終えたときに、計ったようなタイミングでインターフォンが鳴った。

「太市かな」

「だと思う」

「上がって来てもらうか」

「いや。オレが降りていくって言って」

@@@

コンピュータの画面からふと顔を上げると、すでに時計は12時を回っていた。

「遅いな」

太市も一緒だから、大丈夫だろうけど、とひとりごちたところへ、ドアフォンが鳴る。

「鍵を持たずに行ったのか」

姫にはよくあること。実は、知り合いのよしみで、姫が忘れたとき対策でクロークの橘さんにこの部屋の鍵を預けてあるが、

「この時間じゃな」

やれやれ、と思いながら、特に何も確かめずに鍵を開けてドアを開けてやる。と。

「ただいま、蓮っちゃん!」

がばあ、と抱きつかれ、ぎゅーと抱きしめられる。

「ちょ、姫」

「おかげさまでぇ、お仕事、うまくいきました! それもこれも、ぜーんぶ、蓮ちゃんのおかげ。です!」

んーーーーー。

と言いながら、そのまま人の背を折らんばかりに抱きついて、挙句に口を合わせてくる。

「うわ」

酒くさ。

これ、姫の酒気だけで俺、酔えそう。何をどんだけ飲んできたんだ、こいつ。

そんなことを考えていたら、心臓が止まるほどびっくりさせられた。

「先輩、先輩! ちょっと、何やってんですか。先輩! うわあ依嶋さん」

うわあ。

叫びたいのはこっちだ。姫で見えてなかったけど、後ろに太市がいるなんて。

思わず姫の体を突き放す。

あ。新鮮な空気。

「依嶋さん! 大丈夫ですか?」

咳き込んで壁に背中を預けている俺を気にかけながら、太市がとりあえず、ぐにゃんとなった姫の体を持ちこたえていてくれる。良かった。これで床にぶっ倒れて、また怪我したところをぶつけたりしたら悲惨だし。

「だい、じょうぶ。太市、そいつ、とりあえず、寝かせて」

「え? 部屋ですか?」

「違う、違う。ここでいい。とりあえず、頭打たないように寝かせてしまえ」

「了解です」

姫を玄関に寝かせて、靴まで脱がせてくれる。面倒見のいい後輩で助かる。

「依嶋さん、・・・大丈夫ですか」

太市が口許を押さえて、心配そうに覗き込む。

「結構くるな、これ」

ほんと、何杯飲んできたんだろう。

「そりゃ、そうでしょう。いくら仲良くても、男同士でキスされりゃ、素面のほうはたまったもんじゃない」

え。あ。そっちか。

そりゃそうだ、太市にしてみれば。

「とりあえず、こいつ、ここに転がしとこう」

「部屋まで連れていきますよ?」

「部屋が酒臭くなるから嫌」

太市が苦笑する。

風邪を引かせたくないので、毛布だけ玄関まで持ってきて掛けると、太市が声を出さないように笑った。

「そこまではしてもらえても、部屋には入れてもらえないんだ」

「今日、焼酎飲んできただろ。俺、あの匂い、無理」

「良くわかりましたね。あ。そりゃ、そうか。キ」

思わず太市を睨んだ。

「・・・と。防ぎ様が無かったですもんね、ドア開けた瞬間のあの事故は」

太市が笑って事故呼ばわりしてくれたのでほっとする。

「お茶でも飲んでいったら。車だろう?」

「はい。助かります。車ん中、結構酒臭くて。思わず、窓少し開けてきちゃいました。換気しないと、どこかで検問されたら大変なんで」

「コーヒーでいいか」

姫を廊下に寝転がしたまま、リビングで太市と暫く話しこんだ。

「ゲーム最後までしてもらったおかげで、かなり助かったって、先輩言ってましたよ」

「なんだ。自分でやってないって話しちゃったのか」

「クライアントには言ってませんけどね。いかにも自分が最後までやったみたいに」

「でないと、カッコつかないな」

腕にしがみついていた姫を思い出して、つい笑う。もちろん太市には言わないが。

「依嶋さんがゾンビが好きだとは思わなかった」

「ちょっと待て。別にゾンビが好きとかじゃなくて、シューティングゲームだから平気なんだけど」

「じゃあ、映画とかは? だめなんですか」

「・・・『好き』じゃなくて平気なの」

先輩にそう言って聞かせたほうがいいですよ、と笑われた。このままでは、「依嶋はゾンビが好き」で周囲に触れ回られそうだ。ったく。

さて、そろそろ帰ります、と太市が立ち上がった。

「ま。なんにしても、おかげさまで、打ち合わせが捗りました。昨日来た企画書とゲームで、相手も、まさか今日、ゲームを最後までやってきちゃうと思ってなかったようで」

玄関先で、太市が靴を履きながら言った。

「発売前のゲームなのか。ひょっとして」

「はい。シリーズもののスピンオフなんだそうです。本編で人気が出た脇役を使ってあるとかで」

ふと思いついて、訊ねてみる。

「バーチャルゲーム演出って、名前が出るわけじゃないんだろう」

太市がちらりと床で寝ている姫を気にした。

「まあ、そうですね。―― すみません。こんな仕事しか紹介できなくて」

ふらっと1年近く日本を離れていた若手の演出家が、ぽっと日本に帰ってきたからと言って、そうそう大きな演出の仕事があるわけもない。小さな仕事でも拾ってきてくれるのは、姫にとってはありがたい話なんだろうな、と推測できる。

だから、それは太市のせいではない、と言おうとしたら、足元から声がした。

「ばーか。おまえが謝ることでもないだろう」

「起きてたんですか」

「今、起きた」

太市がしゃがんで姫に手を貸す。かろうじて床に座った姫に太市が訊いた。

「どこまで覚えてます?」

「おまえの車に乗ったとこまで」

あーあ、と太市が苦笑いして俺を見上げた。

「あ。じゃあ、ほんとに帰ります。コーヒー、ごちそうさまでした。おかげで目が覚めました」

「気をつけて」

太市を送り出してドアを閉めると、姫がぽつりと言った。

「悪かったな」

「随分飲んだのか」

「クライアントがめちゃくちゃ飲む人でさ。つい。太市が車じゃなければ、あいつに飲み役を任せたんだけど」

高知出身の太市は酔ったそぶりを見せたことがない。

「直前に痛み止め飲んだのが悪かったかも」

「痛むのか」

傷のガーゼを確認する。特に大きく出血しているわけではなさそうだけど。

「酒と薬で、今は全然」

そう言ったかと思うと、目の前にしゃがんでいる俺の首に腕を回してきた。

「悪かった。太市がいるの忘れてたっていうか」

失敗した、と小さい声で謝られた。

「打ち合わせ、うまくいったんだって」

「うん。依嶋のおかげ。面白い仕事になりそう」

ほんとに、面白い仕事になると思う、と繰り返した。

さっきの太市との会話、まずったかな。姫も自分の仕事のことに関しては、当然、気にはしているんだろうし。

じゃあ、と俺から切り出した。

「なんでも言うこと聞いてくれるってことだったよな」

姫が頷いた。

とりあえず、姫のばさばさに落ちてきている前髪をかきあげて、キスをしてみる。唇を離すと、姫がそれに乗って次のキスを重ねてくる。

しゃがんでいたのに、気が付くと膝をついて姫に寄りかかる格好になっていた。

姫が何か小さく耳元で言った言葉が聞き取れず、聞き返す。

「なに?」

「なんでも聞いてやるから早く言え、って言ったの」

「1つだけか」

「えらく欲張るな」

姫がいやーな顔をする。意外とこの顔が好きだったりする。その理由がわかった気がした。ゾンビゲームのときの、どきどきしながら先へ進むときの顔と同じだ。

@@@

「じゃあ、今聞くのと、後で聞くの、どっちがいい?」

えらく勿体ぶるな、と思う。こういうときの依嶋は、絶対何か悪巧みを抱えているに決まっている。それなら、と、オレも意地悪く言ってみる。

「『後で』っていつの後?」

うなじにあるしっぽになった髪を弄る。猫が首の後ろをつままれるときみたいに、この括った髪を弄ると、気持ちよさそうな顔をするんだ、こいつ。

「言っておくけど、『今日』はオレが先に名前呼んだからな」

わざと時計を見ながら、さらに意地悪く言う。ドアを開けたときは0時を回っていたはずだ、と。

@@@

してやったりの顔で言う憎らしさ。

「昨日の約束は?」

「残念だったな。昨日は昨日」

昼間の、ゲーム画面を前にコントローラを差し出したときのあの殊勝な態度はなんだ、とばかりに、顔を離して口許をつねりあげる。

「どの口がそういうことを言うかな。誰のおかげで今日の打ち合わせができたと思うんだ」

「あいたたた」

「ほら。さっさと自分で立って部屋に入る」

そうも言いつつ、大サービスで手を引っ張って立たせてやる。

「焼酎臭いから部屋には入れたくないんじゃなかったの?」

「・・・姫。おまえ、いつから起きてたんだ」

小さく舌を出してとぼける姫を放って部屋に戻ろうとすると、腕を引き寄せられた。

「じゃあ、やり直しってことで」

壁を背に立っていたせいで、逃げ場がない。玄関を開けたときと同じように、正面から抱え込まれる。キス付き。

「おい。息、止めるか?」

唇を離して第一声がそれか。

「だって、俺のほうが酔いそう」

「そんなににおう?」

「まあね。悠日」

姫が「えっ?」という顔をする。

「えーと・・・」

「さっき、やり直しって言ったよな」

さあ、言うこと聞いてもらいましょうか。

しゃーねーな、と姫が首の後ろに手を差し入れてくる。小さく縛った髪を指にくるくる巻きつけて弄びながら、今度はさば折しないキス。

「言えよ。何して欲しいの?」

暫く唇を合わせる振りをして考える。うん。やっぱり、今言うべきじゃないな。

「後で」

ぜひとも、姫の演出が見たい。ついては、ゾンビゲームのバーチャルゲームに一緒に参加しよう、なんて、そりゃ、『後で』でしょう。

 

< 了 >

PAGETOP
Copyright © A-Y All Rights Reserved.