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Sleep Warm 3 – Monday –

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Sleep Warm 3 – Monday –

「お。珍しい」
そう言われるのを覚悟で開けた店のドアだった。
「ジンジャーエールでいいのか?」
BARたしろのジンジャーエールは、姫が仕込んだ生姜が使われている。
「いえ。できれば、100パーの飲み物がいいです」
ふーん、と田代さんがカウンターの上の果物トレイを示す。キウイを選んで、田代さんに差し出した。
浅いような深いような緑色のジュースにレモンの輪切りをグラスの縁に飾って差し出してくれた田代さんが、ぽつりと聞く。
「何かあったか」
押し付けるでもなく、切り込んでくるでもなく、さらっと表面を撫ぜられるかのような聞き口は、いかにも飲み屋の聞き上手なマスターの口調だった。
出張の代休なんです、と苦笑いすると、ゆっくりしていけ、とだけ返ってきた。酒が飲めなくても、これなら心地いい。酒場での会話が、飲めない人間にも許されるのはありがたいな、と初めて思った。
「それにしても、客、少ないですね」
「おまえね。月曜日の夜だよ。そんな元気な景気なもんか。第一、こんだけ雪が残ってりゃ、雪道の歩き方を知らない東京の人間は夜遊びはしないだろ」
「雪はともかく、ここのお客は、景気とは関係ないタイプじゃないですか」
演劇畑、芝居畑の関係者が集まる店だ。テレビに出ている者よりも、どちらかと言うと舞台関係者が多い。売れっ子、という言葉とはほど遠いような下っ端役者や、派手派手しい興行にはならないインディーズの映画を撮っているような監督など、どちらかというと芸能関係者の中でも地味な活動をしている者たちが多い。そのため、時々紛れて入ってくる、自分のようなごくごく一般の者が来ても、顔ぶれによっては、客たちが芸能関係者だとは気づかないこともある。そんな常連客たちは、どちらかと言うと、もっと深夜、舞台が跳ねてからや深夜の撮影が終わってからぞろぞろと集まってくることが多い。
「そうか。まだ、宵の口、か」
「姫んところなんて、やっとキャストの顔ぶれが揃ったくらいの時間じゃないか?」
昼間、上演中の芝居に出ているメンバーもいるらしく、夜がメインの稽古時間に当てられているらしい。
「遅くなるってことか」
ついつい独り言ちていた。田代さんはそれに対して何も言わない。
「メシは?」
「作ってきました」
作っただけで食べていないのがバレバレな返答をする。
「そんなに作りたけりゃ、今度はここで作れ。俺が助かる」
気が向けばそうします、と笑って、ジュース代を置いて店を後にした。
ドアの脇にも、舗道にも、端に避けられた雪が光って、表面だけ少し解けて再び寒さに凍った様を見せている。

@@@

帰宅したら、意外にも姫が先に帰宅していた。昨夜の、眠りながら指を握り返された気がしたのが、夢なのか現なのかがわからないだけに、余計に気まずさを感じる気がした。背けた顔と指だけが熱い。
「忘れ物を取りに来ただけなんだ」
手に、ノートパソコンのコードを持っている。なるほど、コートも脱がず、マフラーも取らずにいる姿は、すぐにもまた出て行くように見える。
「そうみたいだな」
つっけんどんな物言いになってしまうのが止められず、発した言葉にすぐに後悔の思いが続くが、そちらは表に出ようもない。
「遅くなるから」
だから?という言葉はさすがに飲み込んだが、それを飲み込んだがために、なんの返答も口から出てこず、ただ、黙りこくってしまった。
「オレ、明日の朝も早く出るから」
もはや振り返りもせず、誰に言うともなく言って靴を履く。
それでもわずかに救いに思えたのは、「おやすみ」と言い残して、姫が玄関を出て行ったことだ。
すれ違いの生活は珍しいことではない。立ち稽古に入ったら、そういうこともある。自分だって、残業が続いて終電で帰宅なんてザラだ。姫の深夜稽古に夜通し稽古もザラで、朝帰りして、風呂に入って着替えたらまた稽古に行くこともある。だから。
「いいけど、さ」
作り置いた料理に、ひとりで口をつける気にもなれず、ラップをかけて冷蔵庫へしまいこむ。いつもなら、椅子に座って食べる時間はなくとも、つまんで口に入れていくであろうに、と思いながら、いつまで自分は意地を張るんだろうと思うと疲れが出てきた。
風呂から上がって、適当にテレビのニュースをザッピングする。最後に明日の仕事のスケジュールだけ確認して、寝室へと引き上げたが、昨晩はこたつにもぐりこんで寝てしまったわりには、しっかり眠れたからなのか、あまり眠くない。
「かといって、仕事するわけにもな」
ここで仕事を始めてしまうと、たぶん、朝まで起きっぱなしになる確信がある。
朝も早いから、ということは、少なくとも今晩帰ってくるつもりがあるってことか、と少し期待が湧く。それなら、もしも帰ってきたなら、今度こそ、声をかける。
そんな目論見を持って、仕事を広げだす。そこでこたつに、とはまだ思えないのが、残念であるが。
仕事を始めて1時間、2時間。日付が変わってから時計の長針が一周したところまでは見届けたが、その後は記憶にない。
朝6時50分。平日バージョンで目覚ましのアラームが鳴ったとき、自分の体がベッドにあることに初めて気づいた。
「・・・いつ、ベッドに来たんだっけ」
くせで、左手はベッドの左側を探る。が、そこには冷たいシーツの手触りがあるだけだ。起き上がると、左側の枕に窪みがあるようにも思う。
飛び起きてリビングへ行ってみると、姫がつけていってくれたのであろうエアコンが暖めたリビングに、コーヒーの香りだけが、まだ部屋に残っていた火曜日の朝。

<Sleep Warm 4へ続く>

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