オリジナル小説とイラストサイト

MENU

no need reply

  • HOME »
  • no need reply

no need reply

深夜のリビング。
玄関の鍵が開けられる音がしてドアが開く。
へろへろで「ただいま」の声も無く、かろうじて靴を脱いでリビングへ入ってくるヤツを見て、「ただいま」も言わずに、思わずソファから立ち上がって場所を譲る。
ソファに倒れ込むヤツにちょっと呆れ、「・・・随分とお疲れのご様子」
「うん。まあ・・・」
ぐったり寝そべっている後頭部の髪の毛を弄ってみると、少し汗ばんでいる頭皮が熱い。
「やーめーろって。ハゲる」
「いいんじゃない、べつに」
おまえがハゲようがどう変わろうが、見てくれなんて関係ないんだから。
そう言ったつもりなのに、返ってきた言葉は「いいわきゃない」と。
「なんでそんなにくたびれてんの」
「んー・・・。なんでかな。なんか、めっちゃくちゃ眠くて」
「疲れてんだよ」
「うん」
ここのところ、忙しかった。忙しかったのは互いに忙しかったのだから、仕方がない。仕方がないが、すれ違いでいるのもそろそろ限界かと思う2週間目頃。
熱を感じる後頭部をくしゃっと触って、手を置くと、ヤツの手がそれを捕まえにくる。
「触るなって」
「風呂、入れてきてやろっか」
「一緒に入るん?」
「おまえと一緒に入ると逆上せるから、入らない」
「じゃあ、要らね」
くすくす笑いながら、髪に鼻をくっつけた。
「汗臭い」
「ちゃんと入るよ。けど、後でいい。・・・ちょっと寝てから」
「どのくらい?」
「――10分」
「それっぽっち」
「じゃあ、15分」
「もう少し寝たら」
「20分」
「もうひと声」
「――任せる」
「・・・30分したら起こす」
そう言って、もう一度、髪に鼻先を埋めて頭を抱いた。
ここのところ、こうして、帰宅早々ダウンしたヤツを放っぽって寝室へ行く午前零時前後。どうやら、ヤツのほうは2時3時にソファから起き上がって、風呂に入って目を覚まし、そこからまた仕事をしているらしく、朝には顔を合わせて「おはよう」の挨拶をする。
おはよう。
おかえり――ただいま。
おやすみ。
時々、ヤツが眠りに引きずり込まれるほうが早く、おやすみの言葉はないときもあるが、大抵の日常の挨拶の言葉はちゃんと交わしているくせに、何かが足りない、と思ってしまう。
「――蓮」
ソファから離れようとすると人差し指を抓まれた。
寝床でしか呼ばれない名前で呼ばれ、躊躇する。
「・・・もーちょっとしたら、ヒマになる、から」
小指ではないが、指きりでもするかのように指が絡められる。
指を握り返すと、1本だけ絡まっていた指が2本握られ、3本絡んだ。
上げかけた腰をもう一度ソファの袖に下ろして、こちらも普段は呼ばない、下の名前を口にすると、返事の代わりのつもりか、あるいは返事を口にしたつもりだったのか、握る手に少し強く力がこめられた。
やがて、次第に指の力が抜けていき、自分の手にヤツの手がすっかりと預けられた格好になる。力の抜けきった手をそおっと下ろしてやり、もう一度呼び馴れているほうの名前で呼ぶ。
静かな規則的な寝息にこちらの心がくすぐられる。
ここは、安心して眠ることが出来る場所。
そんな信頼の証をもらっている気になれる。
もう一度名前を呼ぶと、寝息の返事だけが返ってきた。
なんの返事も要らないと思う。この温もりだけあれば、たぶん。
自分の手の中にあるヤツの人指し指をそっと親指で撫ぜると、きゅ、と握られた。

<  了  >

PAGETOP
Copyright © A-Y All Rights Reserved.