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The Collarbone 5

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The Collarbone 5

リビングの中は、また足元のオレンジ色のライトが点けられ、依嶋はソファで何かグラスに入れた飲み物を飲みながら、音楽を聞いていた。膝の上にはノートパソコンを開いている。
「タオル、借りたぞ」
何もなかった風を装う、というよりは、別に何もなかったのだと言い聞かせて、何でもないことを口にしてみる。
「ああ。コーヒー、飲む?」
テーブルの上には、インスタントコーヒーの壜がコンビニの袋に入ったまま置かれているらしい。
「・・・と、湯を沸かさないと飲めないか」
依嶋が立ち上がってソファの背側のキッチンに向かうのに、思わず身を引いてしまった。
依嶋は何か言いたそうにオレを見たが、何も言わずにキッチンに立つ。が、キッチンに立つ後姿の背中がやはり何か言いたそうに少し丸くなる。
「依嶋っ! 何、笑ってるんだ」
「いや。なんでもない。ただ、ちょっと、ほら、おまえって意外に可愛らしいと思って・・・」
「意外に」の後を言い終わらないうちに、思わず手にしたインスタントコーヒーの壜で殴ってしまった。いや、勿論、力いっぱい殴ったわけではないが、そこは勢いに任せて多少の力も篭もってしまったらしく、ごいん、と鈍い音がして、依嶋が頭を抱え込んだ。
それでも依嶋は笑う。昨夜の笑い上戸になった酔い癖を思い出した。
「おまえ、何飲んでるんだ?」
まさか朝から酒じゃあないだろうな、という目で見ると、依嶋は「飲んでみたら?」と面白そうに笑いを含んだ顔でテーブルの上のグラスを示した。
ソファの後ろから手を伸ばしてグラスを手に取ると、匂いを嗅いだだけで充分だった。
「・・・ヤクルト」
「ご名答」
マグカップを渡してくれながら依嶋がにやにやする。
「卑怯者」
「なにが」
「灯り、点けやがって」
「間違ったんだ。帰ってきたら電話が鳴ってたから急いでたし」
「それにしても、かっ……かわ、可愛いなんてよくも……!」
言いたくない言葉をなんとか搾り出すと、依嶋も笑いを吹き出した。
「そっ、そういう意味じゃなくて」
体を二つに折って笑っていやがる。
「ただ、うろたえ方が、意外にもおぼこいというか……いや、とにかく悪かった。
本当にスイッチを間違えただけなんだ。ここに住むのは初めてだから」
くっくっく、と喉の中でころころと笑いを転がすような笑いは、昨夜の、酔う前の依嶋の笑いだった。
「安心しろ。こっちを向いていてくれた割には、俺は前には興味がないから、あまり見てない。どちらかというと、後ろのラインのほうが見てて楽しい」
「……おまえ、本当にあれはヤクルトか?」
「芸術的に、という意味だ。下ネタじゃない」
余裕めいた笑いが続くので、オレは話題を変えた。
「住むのは初めて、って言ったか?」
「そう。ここは親父が3年前まで住んでいた部屋で、俺は訪ねてきたことはあったけど、住んだことはないんだ」
「でも、NYで、……葬儀をした、って」
「3年前に父はアメリカへ行って、向こうで暮らしてたから」
「じゃあ、おまえと一緒に?」
「いや。新しい奥さんと」
まあ、家庭事情はそれぞれだ。
「とりあえず、この部屋は俺のものらしいから、NYを引き払って、思い切って日本に帰ってきてみたってわけ」
ふたりで話しながらキッチンへ戻り、シンクの上や下のキャビネットを開けて、ようやく片手鍋を見つけた。
「鍋とか買ったほうがいいかな」
鍋を軽く漱いで渡したオレに依嶋が、聞くともなしに聞いた。
「料理するっていうんならね。しないんなら要らないんじゃないの? ……何やってるんだ」
依嶋が調理台の前で顎に手を置き、立ち尽くしている。
「これ、どうなってんの? ガス台がないってことか?」
「依嶋。ここって、全部電気なんでないの?」
クッキングヒーターをしらなかったらしい。
「アメリカじゃ、電磁波に神経質になってるから」
まるで浦島太郎だ、と笑った。
コーヒーを入れて、ソファに戻ると、依嶋は真面目な顔をして切り込んできた。先刻までいじっていたノートパソコンの画面をオレに向ける。
「これが、次回作か?」
それは、オレが知らない誰かが書いているブログで、オレの芝居をNYで観たことがあるということから始まり、次回作はどうやら東京らしい、と書いてあった。
「ちぇ。どっから漏れた話なんだろう」
「秘密なんてどうせすぐにウワサって名前に変えて、あちこちで口にされるさ。それで、俺のアルバイトってのは、これの宣伝用?」
昨夜の「アルバイト」の話は覚えているらしい。
「”The Collarbone” ―― これって」
あ。やばい。こいつはこの脚本{ホン}の中身を知っているな、と直感した。
「このあいだ、賞を獲った作家の書いた戯曲だろう。半自伝っていう、ゲイストーリーの」

@@@

マンダリンオリエンタルホテルは日本橋のランドマークタワーでもある高層ビルの上九フロアとビルに隣接する国の重要文化財の一部などを含む、今年、世界初の公式六つ星ホテルの指定を受けた高級ホテルだ。依嶋と一緒に地下鉄で行くと、三八階のレセプションに着いたのは約束の15分前だった。
「初めて会うのか? 相手のモデルとやらは」
「いや。二度目。エージェントは4~5回会ってるかな」
「日本で?」
「いや、NYで」
今朝改めて、依嶋をスチルに載せたいと言ったとき、まさか殴られるとまでは思わなかったものの、断られるだろうと思っていた。ところが、案外あっさりと依嶋はOKを出したのだ。
“The Collarbone”の作者が書く作品が好きだと言うのが理由らしい。
「なあ、ひとつだけ聞くけど」
依嶋が耳元に口を寄せてきた。
「スチル、絡みとか撮るんじゃないだろうな?」
そこで、ホテルウーマンが呼びに来た。
「お部屋までご案内します」
オレたちは、ホテルウーマンの後をお行儀良くついて行く。
「一番広い部屋は250平米だってさ」
「げ~~~~~~~~。そんなに広くて何するんだ? 運動会か?」
ホテルウーマンはくすりとも笑わない。声を潜めて話してはいるが、聞こえていないはずはないのに、躾が行き届いているってわけだ。
降りたフロアは最上階でもなく、廊下にはいくつかのドアが並んでいるところを見ると、最高級のスイーツではないらしい。まあ、スーパースターでもあるまいし日本の小さな芝居のスチル撮りに来て、それでこんな高級ホテルに泊まっているってのが不思議ってもんだ。もっとも、ヤツのバックについている「財布」が、底知れない四次元ポケットのような財布だから、そのおかげなんだろうと思う。
こちらです、と、ドアチャイムを押したホテルウーマンが中とやりとりをしたときに、聞き慣れたエージェントの声とは違う、別の聞き覚えのある声がした。
嫌な予感がする。
「お入りください、とのことです」
鍵が中から外される音がして、オレたちを招きいれてくれたのは、やはりエージェントではなく、「財布」だった。

@@@

「いらっしゃれないということで伺っていましたので、驚きました」
極力、不機嫌を隠すようにしてにこやかに告げたつもりだった。
「驚いた、というより来て迷惑だ、という顔に見えるわ」
形の良い長い足を組んだ目の前の女性は、いかにも自分が上段にいることを誇示しているかのようだった。ことさらそれを装っているというわけではなく、それが彼女のいつもの振る舞いだろうということはわかっていた。だから苦手なんだ、こういう女は。
「ミズ・ハリエットは、では、いらっしゃってないのですか?」
「私はイアンのエージジェントではないわ。当然彼女が一緒に来ないでどうするの」
かちんと来る言い方しかできないのか、この女は。と、早くも思い始めたところに、依嶋が助け船を出してきた。
「俺はこの美しい女性に挨拶をしたほうがいいのか、しなくていいのか」
ちゃんと相手にそれが伝わるように英語で言うあたりがそつないと思う。
「ミズ・マグレガー。こちらが今回、イアンと一緒に撮影で入ってもらう、ヨリシマ……」
なんだっけ。下の名前は、と思ったが、依嶋のほうが早かった。
「レン・ヨリシマです」
マグレガーも自然に手を差し出す。依嶋もごくごく自然にその手を受けて、甲に挨拶をする。
ああ。こういうのって苦手だ。任せておこう、と即刻、腹に決めた。
マグレガーが依嶋の頭の先から足の先まで不躾に眺めているのがわかる。これじゃあ、まるで視姦じゃないか、と品のない品定めの仕方にむっとなるが、当の依嶋は平気なのか、我慢しているのか、黙って、その視線とは絡まないようにしている。
そこへ、部屋の中にあるドアが開いて、エージェントのミズ・ハリエットが出てきた。
「ヒメジ。来ていたのね」
どうやら、隣の部屋でイアンと打ち合わせをしていたらしい。後ろからイアンが続いた。
オレもミズ・ハリエットも、勿論、マグレガーも、互いに紹介するでもないまま、イアンは依嶋の前に立った。
依嶋は物怖じせず、椅子から立ち上がって、イアンの前でにっこりと笑った。
「はじめまして。レン・ヨリシマと言います」
イアンは、先刻のマグレガーの数倍もいやらしい目つきで依嶋を見ていた。
「これが、僕よりも美しい肌の男だって言うのか」
この言葉にはさすがに依嶋も反応した。
思い切りオレのことを睨みつけ、イアンの言葉の真意は後で必ず説明させるぞ、と脅しているようである。
「肌はどうだか知りませんが、collarboneはヒメジのお気に入りでね」
丁丁発止、というのは、これほどまでに傍で見ていてはらはらするものかと、初めて思った。

@@@

帰りは、疲れたから、という依嶋の提案でタクシーを捕まえた。とりあえず、依嶋のマンションまで。
タクシーの後部座席で、依嶋に素直に感謝する。
「まさか、あそこであの科白が出ると思わなかった」
「え?」
「鎖骨だよ。Collarbone」
「ああ。そりゃ、作品を読んでいたから。・・・・・・ちょっと待て。明日の撮影、本当に、所謂絡みは」
ここはタクシーの中だ、とばかりに、オレは前方の運転手のほうを指差して、依嶋の口許を押さえた・
「……いわゆるカラミはないんだろうな?」
声を潜めると、バリトンは尚低く格好良く響く。
「カラミ、はない」
オレが奥歯にものの挟まった答え方をしたのは、さすがにわかったようで、依嶋は目を細めて訝しさを隠そうともしないでオレを見て、そして笑ってこう言った。
「まあいいさ。いざとなったらおまえも引っ張り込んでやる」
何やら企みを考えているのか、その笑みには嫌なものを感じるが、この男の表情そのものはどれも気に入っている。目にする表情をひとつずつ頭の中に保存していく。なんだろう。印象的な、というほどのインパクトのあるものだとは思わないのに、忘れたくない意味で、付箋を貼るように記憶してしまう。
「どうかしたか」
「いや」
長くても数秒、思わず表情に見入っていたのを振り払うように誤魔化す。
「有り得ねーよ。オレ、演出だもん」
例えば、こちらが仕組んだ演出を、役者がすっかり逆手にとってアドリブをかましてしまう。
それでも、芝居が成功すれば、成功の手柄は演出家のもの。
依嶋が何を企んでいるのか、こんな、やっててどきどきする演出は、久々かもしれない。

@@@

「あー。なんか肩凝った」
帰るなり、ソファに倒れこんで寝っ転がった。もちろん、依嶋の自宅だ。 「なんか飲むか?」
「ヤクルト以外。甘くないヤツ」
依嶋が笑いながら水のボトルを腹の上に置いた。
「疲れの元はあのレディ・パトロン?」
「わかる?」
「そりゃ、ね。あれは誰だ? マクレガーとか言っていたっけ。エージェントのほうは、NYの美人エージェントの名前も高いミズ・ハリエットだろう」
ソファから起き上がって、依嶋に向き直った。
「ミズ・ハリエットはタブロイドにも良く載るしな。パトロンのほうは、本名はレテイシア・ヤールベンバー。マクレガーは亡くなった夫の姓だ。知ってるか?」
「ヤールベンバー。フィンランドの出身でアメリカに出張っているコンツェルンがあったような気がする。確か、NYのグリニッジ・ヴィレッジあたりをごっそり小奇麗にしたのがヤールベンバー・プロダクツと言ったような気がするぞ」
そう言いながら依嶋はトランクから分厚いファイルを出してきた。インデックスも見ずにファイルを捲る。
「このあたりだ」
くるりとファイルをこちらに向けてくれる。そっけないほどシンプルでありながら、そいて、一見、小汚く見せつつ、小奇麗に整えられた建物のスナップは、丁寧に付箋でコメントがつけられていた。
「どうした、姫?」
「う~ん。・・・・・・なんというか」
一応、言葉は選んでみようと努力する。
「汚さを装ってきれいにしている、のは、ずるい、かな」
くすり、と依嶋が笑う。が、愉快そうな笑いには見えなかった。 それきりファイルを閉じて、依嶋は隣に移ってきた。
「それより」
「・・・あー。えっと、だな」
明日のスチル撮影の話を突っ込んでくる、と、思わず、依嶋が顔を覗き込んでくるのから目を逸らした。
「言いたいことは、後で全部まとめて取っておくことにする。まずは今は、姫のイメージを話せ」

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