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The Collarbone 3

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The Collarbone 3

「依嶋。家。家、どこ? よりしまっ」
自分の顎を自分の肩口に沈めて寝ている依嶋に、後部座席で訊いてみる。あー。せめてこうなる前にどこに住んでいるのかくらい話題にしておけばよかった、と、ほんの出来心でジンジャーエールにウォッカを垂らしたことを後悔するが、勿論、先に立つものではなかったのは言うまでもない。
「どうします?」
タクシーの運ちゃんも、この時期ともなると慣れているのか、そんなに嫌な顔をせずに尋ねてはくれる。
「お客さんのほうに先に行って、それでも起きなきゃ、泊めてあげるってのはまずいんですか」
練馬から八王子まで車で帰るのは真っ平だ。しかも挙句に、数年ぶりに偶然遭った友人を泊めるような家庭環境にはない。
運転手に苦笑いを返しながら、依嶋の頬を、手の甲でぺちぺちと叩く。
「おーいー。家、どこだって。連れて帰ってやるし」
鼻をつまんでやる。鼻梁も結構いい形かも。
鼻を摘まれたのが少しは効いたようで、やっと薄目をあけた。
「・・・なんか言った?」
「家。おまえの家。今から送っていくから。どこに住んでるんだ?」
ああ、と言って、ごそごそとスーツの胸ポケットをさぐり、薄い手帳から一枚のメモを取り出してきた。
「ここ」
そう言って、オレにメモを渡してしまうと、また寝る体勢に入ってしまった。
「吐きそうですかね」
運ちゃんがさすがに心配げに言う。
「大丈夫。吐かない。時差ボケで眠いだけ」
自分で答えて、依嶋は目を閉じた。
「じゃあ、この住所へ」
マンション名まで書いてあるので、最近のナビなら十分連れていってくれるだろう。運転手にメモを見せて、オレも依嶋の隣に落ちつく。さりげなく、メモを見直して、住所とマンション名、それに横に書いてあるのは部屋番号だろうか、四桁の数字を暗記しようとした。
この時間なら、メモにある新宿の住所まで依嶋を連れて帰って、そこからまた田代先輩の店までなら戻ってくる電車はある。
そんな算段をして、タクシーの窓から流れる街を見ていた。いつのまにか、依嶋の頭が左肩に乗ってきていた。
ここですね、と運転手に言われたときには、つい、オレまでうとうととしていたらしい。途中まで、二幕目目の第二場の、まだ、そこだけぽっかりと演出が思い浮かんでいないところを考えていたのに。
「依嶋? 着いたって。ここでいいのか?」
財布を取り出しながら、開けられたドアの向こうに見たエントランスは、なかなかの高級感あるものだった。都心の、どう考えてもかなりの額を稼いでいる者でなければ住むことを考えもしないであろうマンションだ。
「後ろの荷物、下ろしましょうか」
運ちゃんの親切に頷く。
「依嶋。降りるぞ」
腕を取って、降ろそうとする。なんだか寝ぐずっている子どもを連れた親になった気分だ。
「これ、ここでいいですか?」
スーツケースとガーメントケース。オレも依嶋も、ほかにも荷物は残してないことを、もう一度後部座席を覗いて確認しておく。
「おい。いい加減、自分で歩いて荷物運べよ」
とりあえず、ガーメントケースを持たせ、スーツケースはオレが持つ。
目をこすりながら、依嶋は、存外はっきりした声で、「メモは?」と訊いてきた。
「さっきの、住所を書いたメモ、どこにやったっけ?」
「ああ。オレが持ったまま」
シャツのポケットからふたつ折りにしたメモを取り出して返すと、依嶋が「1401」と読み上げた。
「部屋番号か?」
「いや。そこの ―― パスワード」
さっきの手帳からカードキーを出してきて、それをエントランス脇のキーシステムのカードリーダーに通した。
「これで今の数字、打ち込んで」
四つの数字を押すと、自動ドアが開いた。管理室は二四時間体勢なのか、灯りがついているだけでなく、カーテンも開いている。品の良さそうな初老の男が出てきて「おかえりなさい」と告げた。
「これから、お世話になります」
「では、ここに住まわれることに?」
「はい。俺なんかが住むには、分不相応だと思うけど」
「そんなことないですよ」
にこりと優しそうに笑んだ男は、伝票を何枚か持ってきて、依嶋に渡した。
「引越し荷物と宅配便の受け取りです。悪いかなと思ったんですが、ここに置いておくよりはいいと思って、勝手知ったる部屋とばかりに、中に運んでおいてもらいましたから」
「助かります」
酒に酔ったなど微塵も感じさせない依嶋を見て、時計を見て電車の乗り継ぎを計算したオレは「帰る」と声をかけようと思ったところだった。電話番号は知らないまでも、住んでいる、というか、これから住むらしき場所はしっかり覚えたから、後日また連絡を取ることができるだろう。
だが、依嶋は、
「姫。行こう」
と、自分でガーメントケースとスーツケースをそれぞれの手に持って、歩き出したのだった。
「え? あ? オレ?」
否定も拒絶もする隙はなく、オレひとりがなんだかマヌケなリアクションで、ペコリと管理人らしき男性に頭を下げて依嶋を追いかけた。
片手からスーツケースを持ってやろうとすると、要らないからエレベータのボタンを押せとばかりに、壁を示された。エレベータに乗り込むと、ドアが閉まった途端、依嶋はガーメントケースを床に投げ出し、ぐったりと壁に背を預けた。
「依嶋?」
「あの人、俺の親父の恩師なんだ。引っ越してくる初日から、酔っ払ってるところなんて、見せられないだろう?」
両手で俯いた顔を覆い、あー、眠い、と呟く。そのまま両の手で髪を掻き上げて、じろりとオレを見た目は、先ほどの管理人を相手に話していたときの柔和さなど欠片もなかった。
「おまえさ、酒、入れただろう?二杯目のジンジャーエールに」
おっと。やっぱりあのとき、気づいていたのか。
「結構敏感な舌だな。鈍感な女、子どもだと気づかず飲んじまうぜ」
「生姜と、最後に入れたレモンで、大抵はわからないんだろう。・・・ああやって、ワルさ、してんじゃないだろうな?」
意外と正義感もあったり?
なんて、発見して感心している場合なんだろうか。一秒、二秒、依嶋が怒った目でオレを見る。
そこでエレベータは目的の階に着いて、依嶋は手ぶらで降りていく。
おい。これは? と問う間にも扉は閉まろうとするから、慌てて足で扉をこじあけ、床のガーメントケースとスーツケースを抱えて、エレベータを降りた。
見たところ、廊下に見えるドアは2つ。エレベータから一番遠いドアに向かって依嶋は歩いて行き、鍵を開けると、オレのほうなど振り返りもせず、部屋に入ってしまった。
「え。ちょ……!」
追いかけたドアは、ちゃんと開いた。その音が聞こえてか、依嶋が中で呼ぶ。
「荷物、そのへんに転がしておいていいから」
依嶋の脱いだ革靴しかない玄関から、三間ほどもある長い廊下を通って半開きになっている扉を押し開けると、目の前に副都心の光の海が広がった。
しばらく、何も言えず、ソファ横の足元を照らすだけの小さな灯りしかつけていないリビングで、大きな窓から見える光景に見入る。息を呑む、というのはこういうことを言うのだろうか。勿論、ホテルのトップバーなどにも行ったりして、高層ビルからの夜景を眺めたことがないわけではない。だが、ちゃらちゃらと女連れで見たときや、酒のつまみに目の端に映る光の帯とは全然違うのはどういうわけだろう。
「これだから、芸術家ってのは」
依嶋がくすりと笑って、缶ビールをオレの革ジャンの背中に押し当てた。
「何、泣くほど感動できるかな」
そう言って、濃紺のインクの海に光を散りばめたような窓を背にしてソファに腰掛けた依嶋は、たぶん、自分がいるこの風景が、どんなに情感があるものかを意識していない。そういえば昔、言っていたっけ。『舞台美術は感性で造るものじゃない。感性で演出されるものを、どこから見れば効果的に見えるかを分析して計算で造り出すものだ』と。
「これ」
缶ビールを受け取った手の甲で、ぐいと頬を拭って、反対の手にあるガーメントケースを差し出した。
「その辺に置いてくれればいいよ」
「スーツ、入ってるんじゃないのか」
「・・・しばらく使うこともないよ。喪服なんだ」
オレは、依嶋の隣に腰を下ろした。
「親父が死んで、葬式済ませて、今日日本に帰ってきたんだ。なんとなく、ひとりになりたくなくて、空港からそのまま、大学近くまで行って」
「ほんの数年なのに、すっかり様変わりしていただろ」
「うん。結局、全然馴染みがない店に入ったつもりだったのに」
「オレや田代さんがいた、か」
なんとなく、先刻感じた情感の理由がわかったような気がした。
それきり黙って、オレはもらった缶ビールをただちびちび飲む。ふと気が着けば、隣で依嶋は、座った姿勢のまま、かすかな寝息を立てていた。
缶ビールの中身が無くなるまで、寝息をBGMに、夜景を切り取る寝顔をつまみに、ひとりでちびちび飲んだ。
父親の葬儀だった、と言った。
母親はどうなんだっけ。いや、どうもなにも、そんなことを聞くまでの仲でもなかったから、知るはずもない。先刻の話からすると、NYで葬式を出して、日本に帰国したと聞こえたが、およそ半日のフライトの間、ひとりきりだったんだろうか。見知らぬその他大勢の中で独りの心を抱えこんで座っていることや、誰もいない家にひとりきりの沈黙をかこつのを考えると、数年ぶりに会った、少なくとも思い出のひとつや二つを共有できるやつは、旅先で見つけた、抱き枕代わりの手頃なぬいぐるみみたいなものかも知れない。女の温もりほど肌にまとわりついて欲しくはない。でも、ひとりきりのホテルのシーツほど無味乾燥ではないほうがいい。
海外引越しのテープを貼られたまま、開封もされないで積み上げられたダンボールに囲まれた部屋の中で、ソファやベッドの埃よけの布を見て、旅疲れの溜息を吐くよりは、オレみたいのでもいいから一緒にいるほうが気が紛れるのかもしれない。
「おっと」
依嶋の手から、缶がすり抜けそうになった。
「なんだ。こいつお茶か」
お茶とビールの缶を並べてテーブルに置いておいて、依嶋の肩を揺する。
「依嶋。横になって休んだらどうだ」
揺すられた弾みで、首が横に傾くと、首から肩へと流れるアウトラインが露になった。弾け飛んだボタンのせいで大きく開いたシャツは、胸元は胸骨の辺りまで、右の身頃は肩が落ちそうになるまで肌を見せていた。
すっきりとした、太すぎず、ごつごつしすぎない鎖骨が右半分だけ。
顎から喉のラインが自然に体の中心に飲み込まれて、途中から枝分かれをするように肩のラインが始まってシャツの大きく開けられた襟元に隠されて消える。
The collarbone。襟元の骨 ―― 鎖骨。
目の高さを鎖骨の位置に合わせようと、背中を丸めて姿勢を低くしてみる。
先刻、指でつまんだ鼻梁の高さを思い出し、少し上から、鼻の左上から見下ろす形だと、鎖骨が半ば顔で隠されてしまった。
思い付いて、ソファの背側に回ってみた。依嶋の頭を両手で挟み、首をまっすぐにしてやる。背側に立ったまま、頭の上から覗きこむ体で、鼻梁を中心にして見下ろすカットを作った。
かなりこちらが深く覗きこまないと鎖骨は見えない。見えるまでこちらがゆっくりと上半身を前傾していく。その中途で、ふと横を見ると、窓の鏡にまるでキスの前の(もしくは後の)ようなふたりの影が映っていた。
曲げた腰を、ゆっくりと同じ速度と同じ経路でまっすぐに戻す。そうしなければ、もしも驚いたままに慌てて姿勢を正すと、依嶋に気づかれそうな気がして。腰を伸ばして、耳をすますと依嶋の寝息が規則正しく聞こえた。呼吸を4つ数え、それから自分も深呼吸する。
ついでに窓鏡を見たが、さすがに自分が赤くなっているのかどうかまでは映っていなかった。
何をどきどきしているのやら、と自分に言い聞かせて、気を取り直し、もう一度、今度は少し勢いよく先刻の位置まで体を折り曲げた。ただし今度は、依嶋の頭も持たずに、その代わりに、自分の左手を依嶋の首の終わり胸の始まりの中心に置いた。
人差し指と、思い切って中指の腹も当て、ゆっくりと鎖骨をなぞっていく。肩を覆うシャツを薬指で滑らせながら。
左の肩先に薬指が届いたとき、鼻梁と鼻先、僅かに見える口許、両方の鎖骨を見比べると、満足した。
満足すると、依嶋の冷えた肩が気になった。肩から指を外して、あたりを見回したが、開けられたダンボールは無さそうである。とりあえず、ソファにかけられていたものらしい誇りよけのカバーを肩からすっぽり被せてやった。そんなことに気が回り出すと、依嶋の寝息以外にもエアコンの静かな稼働音が聞こえる。空調が入っているなら、風邪は引くまい。そんなことを考えていると、ジーンズのポケットで、携帯が震えた。
「 ―― はい。ああ。おまえか」
咄嗟に依嶋を見、起きる気配が微塵もないことを見て取ると、ソファから離れて今度は時計を探したが、部屋の中の見えるところに時計はなかった。だが、見なくてもわかる。この電話がかかってきたということは、真夜中の十二時だ。
《今夜は帰ってくるの? 来ないの?》
もう同じ質問は言い飽きたと言わんばかりの声で言われる。そして、答えるいとまを与えずにこちらの答えを代弁された。

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