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The Collarbone 1

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The Collarbone 1

例えば、洒落たバーのカウンター。
再会の場面{シーン}、想い出のエピソードがある店なら尚良し。
きっかけはハプニングから。

「久しぶりに帰ってきて顔を見せたと思ったら、それなの!」

ヒステリックな女の声と、

SE 水音、続けてグラスが床に落ちて割れる音。

無言の男にキレる女

SE 女の手が男の頬を叩く音

「さよなら」

SE ヒールの遠ざかる音

ヒールの音までがヒステリックだか、
それとも一抹の別れの哀しみが込められているか、

「・・・ねーだろうなぁ、んなもん」
呟いて、口の中の血をテーブルの上のオシボリに吐き出す。
「これを」
店の女のコが新しいオシボリを差し出してくれた。
「ありがと」
頬を外から冷やすべきか、悩んでいたら「嗽したほうがいいよ」とカウンターの中のマスターが言って、水の入ったコップを出してくれた。
カウンターに寄ってコップの水をわずかに口に含み、オシボリに吐き出す。
「ありがとう。もう大丈夫みたいだ」
薄いピンクに染まったオシボリをにぎりこんで、カウンターに置いた。
と、横からアルマーニのスーツの袖先がカウンターに伸びた。
「これ。さっきの女性のものだと思いますが」
開いた掌に載せられていたのは、カルティエのリングだった。
「実和子、こんなのしてたっけ」
問うと、マスターが「してたよ」と苦笑した。
「殴ったはずみに落ちたのかな」とひとりごちると、
「テーブルに叩き付けて行ったんですよ」と、指輪を拾ったアルマーニが返事した。
「追いかけてきてもらいたくて、指輪を残して行ったんじゃないんですか」
アルマーニはさもわかっているかのように言う。だが、そうではないのだ。
「あなたが買ってあげたものなんじゃ?」
「違うね。自分で買ったか、でなきゃほかの男に買わせたものだよ。寝てもいない女に指輪をくれてやることもしないし、指輪を投げつけられる覚えもない」
それを聞いたアルマーニは、片眉を心持ち上げた表情でつまみあげた指輪を凝と見てから、納得したのかしないのか、指輪を手渡してきた。そのままそれをカウンターの上に差し出し、「マスター、取りに来るまで置いておいてやってよ」と言うと、はいよ、とマスターは流しの脇の小引き出しに、無造作に指輪を放り込んだ。
マスターは洗いものを片付けながら補足の説明をしてくれた。
「実和子ちゃんは、姫ちゃんとの仲を誤解されるようにされるように振舞ってたからね。一応、喧嘩をしかけて指輪を投げつければ、傍から見れば恋人の別れ話に見える。この店には芸能人がよく来るから、あわよくば張っている記者がいれば、記事にしてくれると見込んでのことだったんだろうけど」
「『姫』?」

再会の場面はどちらかというと、ありきたりなほうがいい。
そのほうが却って印象に残るものだ。

陳腐な再会で、オレたちはグラスを合わせた。
「いいんだけど……」
「え?」
アルマーニの濃茶のスーツに、サンドベージュのシャツを合わせ、ノーネクタイで胸元の釦はふたつまで開けて、依嶋の手にしたシャンパングラスに注いだ淡い金色の液体を指差して、オレは頭痛すら感じていた。
「そりゃあ、ジンジャーエールだろうが、依嶋」
どこにこれだけキメた男が、洒落たバーカウンターのスツールに腰掛けて長い足を組み、ソフトドリンクを飲んでいると思う?
「本格的な、ショウガの味が効いたジンジャーエールだぞ」
なかなかウマい、とぺろりと舌が上唇を舐める。
「大学時代の印象とはまるで違うから、名前を聞かなければわからなかったかもな。――『姫』」
ああ。この顔だ。ものすごく意地悪そうなのに、叱られるために悪戯をしてる子供のような表情。学生時代の依嶋を思い出す。どことなく他人から距離を置いていて、そのくせ存在感だけは主張しているやつ。そういえば、大学時代から、こいつが酒を飲んでいるところを、見たことがなかった気もする。
「何がおかしい?」
ジンジャーエールの泡を口に含んでから、小さく口元が引き上げられたのを見逃さなかった。
「いや。昔は、姫って呼ばれると、心底いやそ~な顔をしていたのに、と思って」
少し落とした照明の翳を鼻筋に蓄え、まるで笑い上戸が、適度な酒で機嫌よくなっているときのように、くっくっと喉を幽かに鳴らして笑う依嶋に、オレは一発で参る。
よし。この男、貰った、と勝手に決め込んで、頭の中で作戦を組み立てた。
「そういえば、そうだったっけ」
カウンターの中で、マスターの隣の男がいい具合に、口をはさんで会話に参加してくれた。
「学生時代からご存じなんですか」
依嶋が質問する。
「大学前の居酒屋、覚えてる?」
オレが、一見全く脈絡のないかのような質問で返すと、カウンターの中で男が声に出さず横顔で笑い、依嶋はきょとんとオレを凝視した。
ふむ。こういう顔もできるのか。思いのほか、イイ感じ。
「覚えてない?」
重ねてオレが問うと、依嶋はジンジャーエールの入ったビルスナーを薄い唇にこつこつ当てて、少し考えていた。
「駅の隣りにお好み焼き屋だろ、その横が定食屋で」
「その真向かいだよ」
「ああ。破れ提灯を掛けてた・・・たしろ、だっけ」
破れ提灯はわざとの演出で、というのも、そこのひとり息子は、オレと同じ大学演劇部のOBだったのだ。
「その田代先輩だよ」
マスターの隣にいる男を示して、「こっちがこの店のオーナー」とオレが言うと、依嶋は一瞬、学生時代を振り返り、それから、えーーーっ、と驚いた。
「親父が居酒屋やってたから、絶対、客商売だけはするもんかって思ってたけどさ、気が付いたらこれくらいしかできないってもんだ」
きゅ、と音を立てて、グラスタオルがワイングラスの雫を拭った。
「これでも、映画の準主役まではもらったんだぜ」
口許を引き上げると、なかなか見栄えがいい笑顔になる。田代の言葉に依嶋は何も返さなかったが、多分、何と返事すれば良いか、巧い言葉が思いつかないのだろう。
誰でも思い当たる、若い頃の夢の名残は、時には砂糖菓子よりも甘くなるし良い酒のごとく酔わせてくれる。なのに、それを甘いものが苦手な人間や、宴の輪の外の者が見たなら、興醒めで苦い思いしかしないようなものだ。
「でも、オレ、田代先輩の演技は好きだけどな」
嘘ではないけれど、既に何度も言わされた擦り切れたような言葉を、できるだけ効果があるように間合いを計って言うオレ。鳴かず飛ばずで捨てきれない夢を抱えたままカウンターに立つ田代先輩のことではなく、そんな計算で現実に演出をする自分が嫌いだ。グラスの底に残ったジンを、苦く飲み干した。
「ところでさ、依嶋は今、何やってんの?」
大学の演劇部に最後まで所属してくれなかった。散々、みんなが請うたというのに。欲しかったのはこいつの。
「デザイン」
思わず口から小さく音が出る。
「なんだ。やっぱりそっちへ行ったんだ?」
舞台のデザインをやらせたら、こいつ以上のヤツは当時、身近にはいなかったと思う。
演劇部でもないのに、何故だかよく顔を出していて、気が付いたら舞台デザイン をしてみせてくれた。それにころっと心酔してしまってからは、自分の演出には絶対こいつのデザインを、と、いつもいつも口説くのに必至だった。
「建築だ。舞台じゃない」
オレの考えを読んだように、依嶋が訂正の言葉を口にした。
「それに明日から職探しだ」
「なんだ。転職か?」
「まあ。そんなところだ。帰国したばかりなんだ」
「帰国? 海外にいたのか」
まるで、合コンの女みたいに、興味丸出しで質問攻めにする。
ちら、とこちらを見た依嶋の視線が迷惑そうでもあったように思う。自分の前髪に長い指を差し入れてかきあげながら、なんとなく言いたくない風を見せつつ言った。
「俺、卒業が決まってすぐに、あっちへ行っちまったから」
あっ、と思った。
そういえば、こいつ、卒業式に見なかったっけ。
同窓会といっても、科が違うとゼミの同窓会は別々だ。オレは演劇科で、依嶋は―― 。
「今更だけど、依嶋って、科はなんだったんだ?」
なんとも間抜けな話だが、オレは本当に依嶋が何を専攻していたかを知らなかった。
建築?
「――映像」
依嶋は、別段気を悪くしたふうでもなく、ジンジャーエールを飲みながら言った。映像専攻と聞き、なんとなく理解できたような気がした。
そうか。こいつの「見られることが巧い」表情は、そんな学習から来ているものかも知れない。そういえば、こいつに作ってもらう舞台デザインも、客席から観られるための構図が取れていた。見事に、客が観たいと思う一シーンこそを演出するためにデザインされた舞台だったように思う。
オレが、「このシーンこそ」と、芝居の中でもっともメッセージを注ぎ込んだシーンのために、舞台装置の全てがある気がしたものだ。
「なあ。時間あるならバイトしない?」
ウズウズして、思い余ってつい口にしてしまった。しまったと思ったが、意外にも依嶋は、驚いた顔こそしていたが、嫌そうな雰囲気はなかった。その代わりに。
「・・・ぶっ」
吹き出して笑い声まで上げ始める。
ツボに嵌まった、という感じで後から後から笑いがこみ上げてくるのを噛み殺すのに必死な風の依嶋に、むしろオレのほうがムッときて、依嶋の手からピルスナーグラスを取り上げて、ジンジャーエールを飲み干してやった。
「・・・生姜くさ・・・」
「人のものを取っておいて、言うか」
「悪かったね。看板メニューのひとつなんだが」
依嶋と田代先輩と、両方から言われてしまう。首をすくめていたら、マスターが「おかわりは?」と訊いてきた。
「オレ、同じもんでいい」
「俺も」
そうオーダーしたものの、マスターは新しく店に入ってきてカウンターの隅っこに座った客のところへ行き、田代先輩は別の客から何か注文を受けたらしく、フライパンを火にかけ始めた。
暫く放って置かれるのも、再会したばかりの間柄では手持ちぶさたなもので、しかもふたりともグラスが空となれば話の継ぎ穂にも困る。
オレはスツールから降りて、すぐ横にあるはね扉からカウンターの中に入った。
「悪いね、姫ちゃん」
マスターが声だけで礼を言う。フライパンを置いた後で、ピッツァの生地にトマトとモッツァレラを載せていた。その間に他の客のグラスも空になっていたので、オレは客にオーダーを確認して、3つほどグラスに液体を満たしてから、依嶋に確認した。
「ジンジャーエールがいいのか?」
「ああ。うん」
生姜を絞った特製シロップと一緒に、ソーダをシェイカーに注ぐ。隠し味をつけて、シェイカーを振った。
金色の液体を先ほどのとは違う、別の細身のワイングラスに注いだ。
「はいよ」
依嶋の前にあるコースターを取り替え、グラスの足をそっと持ち上げて、乗せてやった。
ついでに自分のグラスを水ですすごうとして、洗い物がたまっているのを見てしまった。
見てしまったなら無視ができない。スポンジを手に取り泡立てて、皿とグラスを洗い始めた。
「なんか、サマになってるぞ」
依嶋がクスクス笑う。
「皿洗いがか?」
「そう」
こくり、とジンジャーエールに口をつけた依嶋が、ほんの僅かだけ口元を歪める。
味の違いに気付いたか、と思う。が、次いで、もう一口。
「ちょっと生姜がキツめだろう」
火の傍を離れた田代先輩が、オレの横へ来てスポンジを横取りした。
「さんきゅ、姫。助かったよ」
田代先輩が流しに残っていたシェイカーをすすぎ、水を切ってからシェイカーの底を依嶋に見せた。
「姫は結構腕のいいバーテンダーだったよ」
そう言って、底にあるオレの名前を見せた。
「え? なに? ウソ・・・・・・マイ・シェイカー?」
驚く依嶋に、さらに田代先輩は、カウンターの中、自分の背後にある銀メダルの楯を示した。オレがカクテルコンテストに出たときのものだ。
「そのジンジャーエールも、姫のレシピだよ。生姜のシロップを漬け込んだのもこいつ」
田代先輩がオレの頭を小突く。
「あのまま店にいてくれるものだとばかり思ってたんだけどな」
「すみませんね」
苦手な会話に突入しそうで、少しばかり苦味をかみ締めながら、手の雫をタオルで拭いた。
「おまえって、・・・・・・そういえば、おまえって、今、何やってんの」
依嶋のぽかんとした顔が、また味があって、なるほどこういう表情も出るわけか、と頭の中でシャッターを切るように記憶しておく。
「依嶋、さっき、NYに居たって言ってなかったっけ」
無言でカウンターから出て依嶋の隣に戻るオレの代わりに、田代先輩が依嶋に訊いた。
「ええ。そうです」
田代先輩がカウンターの端まで行き、壁にピンで留めてあった記事の切り抜きを外して、依嶋の前に置いた。

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