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The Collarbone 2

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The Collarbone 2

「姫が作った芝居。オフオフでいい評判取ったんだ」
依嶋が切り抜きを手にして、暫く無言のままで見ている。いや、読んでいるのだろう。NYに居たというのだから英語の記事が読めないものでもないと思う。短い記事を、二度三度繰り返して読んでいるかのような間に、耐えられなくなったオレは煙草を取り出した。
「当店は禁煙」
田代先輩が軽く睨むので、「くわえるだけ」と片目をつむって許しを請う。苦笑してマスターのほうが灰皿を出してくれようとするのへ、オレは手で押し留めて「ほんとにくわえるだけだから」と断りを見せた。
「知らないよな、んな、オフオフの小さな芝居なんて」
照れ臭いのが頂点に達して、我慢できずにオレが言葉を口にする。なんでもいいからとにかく、こいつの意識を小さな記事からそらしたいと思う。
それにすら反応がない数秒にまで堪えかねて、オレが依嶋の手元に指を伸ばしかけたら、依嶋はいち早く気配を察し、記事を持つ手を遠ざけやがった。
「俺、観に行くはずだったんだ、これ」
一瞬、日本語がわからなくなってしまった気がした。
「出演者にシドってのがいただろう? ピンクのロングヘアの。その娘が、同じアパートの娘だったんだ」
依嶋の表情が優しくなる。
シド。もちろん覚えている。見事なプラチナブロンドを、惜し気もなくピンクに染めて舞台に立ったティーンの女の子だ。
「彼女?」
依嶋がぽかんとした顔でオレを見つめ返す。
「・・・なわけないか。ちょっと年が離れてるよなあ」
「――ああ。『彼女』ってのはそういう意味か。違うよ。彼女が惚れていたのは、俺のルームメイトだったヤツ」
「ルームシェアなんてしてたんだ?」
かなり意外だった。しかもそれが女性だと言うならまだしも、相手は同性なわけだ。協調性がないとは言わないが、積極的に人とかかわるような性質だとは思っていなかったから、いったいどんなやつと同居していたんだろう、と興味がふつふつと湧く。
「それで? 結局、姫の芝居は観れてはいないわけだ?」
意識が本題から逸れがちになったところを、田代先輩に話を引き戻された。
「そう。ちょっとアクシデントがあってね。姫の芝居だったなんて、知らなかった。惜しいことをしたな」
「知らなくて当然さ」
火の点いていない煙草を唇で弄びながら、オレが言った。話を切り上げたい。が、このあと依嶋にオファーをするためには話を切り上げられない。そのジレンマで、余計に口調がぶっきらぼうになっていく。
「姫は本名を出していないんだもの」
「なに? どういうこと?」
田代先輩は話を巧く誘導してくれているようで、肝心なところは自分で話せとばかりにオレに目で命じてくる。
「日本人の演出で、しかもそれが亜門や蜷川でもないのがやるって言ったところで、相手にされない」
「・・・どころか、最初から避けていかれるのがオチ、って考えたのさ」
オレが端的に言ったことに田代先輩が補足してくれるのに甘んじて、オレは依嶋のグラスからまたジンジャーエールを飲んだ。
「おい」
「ケチ」
オレの手からグラスを奪うときに、依嶋の冷たい指が触れた。その瞬間に腹を決めて口にしてしまおうと思った。
「さっきの『アルバイト』のことだけど」
「うん?」
「カンバン(*1)、やってくんないかな」
「え?」
田代先輩はにやにやしたまま、黙って洗い物を拭いている。依嶋がグラスを譲ってくれないので、オレの手の中には、煙草しか弄んでみせるものがない。だが、火も点いていない煙草は、弄くるにも大したことができない。これが役者に対してなら、「ちったぁ考えて役を作れ」と怒号を飛ばすという勝手もできるのに、自分のすることと言ったら、情けないものだ。
「あのさ」
依嶋の指が額に当てられている。あー、こりゃ、頭痛がしかねないっていうジェスチュアだよな。
「聞き間違いでなけりゃ」
「うん」
「俺に『撮られろ』と?」
「ハイ」
とうとう我慢できず、煙草に火を点けてしまった。
にやにやしたままの田代先輩は、とりあえず、黙っていてくれる。
「姫路」
「うん」
「俺は、おまえの舞台美術を引き受けたことはある」
「だな」
長い指が十本、額を抱え込んだ。
「姫」
美声と言っていいバリトンの、トーンが美しく一段下がる。
「は、い・・・」
思い出してしまった。そう言えば昔、「顔が良いから、舞台で立っていれば演技なんてなくても客がつく」とこいつに言った奴が、一撃で鼻っぱしらを折られたことがあった。文字通り。――拳骨で殴られて、鼻が潰れたはず。
だん!とカウンターが鳴った。
「おい。割るなよ」
田代先輩、頼むから面白そうに笑みを浮かべて、冷静に言わないで欲しい。
ジンジャーエールの残りを一気飲みした依嶋は、こちらを見ようともせず、再度呼んだ。
「姫」
繰り返し呼ばれる、余り好きでない呼び名にも、不快を感じるというよりも構えてしまう。
「……く。く、くっ」
くぐもった声のきれぎれな断片が、次第に連続しつつ、大きく、高くなる。
「何、飲ませた?」
田代先輩が軽く睨む。
「ハンター・ウォッカとリモーナヤをほんのすこーし……」
有り得ない。併せて小匙一杯も入れていないぞ。味は変わらないから、アルコールに余程敏感なやつなら「あぁ、酒が入ったな」と思う程度にしか。
「一緒に飲んだこと、なかったのか」
「なかった、かも」
酒グセは知らないんだな、と田代先輩が目だけで念を押した。
依嶋は、何がそんなにおかしいんだか、くすくすと笑いを止めることなく、オレの肩に手を伸ばしてきた。
「カンバンのアルバイト。いいでしょ。受けましょう」
くっくっと喉を鳴らしながら、肩を握る指に力が篭もる。
「姫ちゃんの演出とやら、勿論、カンバンを撮るときからやってくれるんだよ、な」
本気で酔っているんだろうか。うっすら目の縁が朱いと言えば、そんなふうにも見えなくもないが、かと言って、酔ってると言うには余りにも目がまっすぐにこちらを見つめていて。
「え」
吸い込まれるような瞳、という使い古された文句があるが、経験したことがあるだろうか。真正面から、互いに焦点がぴたりと合った目を一瞬とて離すことなく、まるで漫画や特撮映画で相手の体に自分の体がすっと入っていくかのような瞬間を。
そんな自然さでオレの肩口に沈みこんだ依嶋の体の重みを実感するまでに、しばらく時間がかかったと思う。
「依嶋?」
寝たか。
気絶したか。
酒を飲みつけないやつの酔い方なんて、そのいずれかだろう、とオレも田代先輩も馴れから予想する。
「姫。階上{うえ}、使っていいから」
寝てしまった酔っ払いはとっとと店から出せとばかりに、田代先輩が目配せする。
「はいはい、と・・・・・・」
自分よりも小柄なヤツを運ぶなら楽だが、自分と同じくらいの体格の男を連れていくとなると、少しばかりコツが要る。依嶋の腕をオレの肩に回させるように、上半身を抱え込んだ、そのとき。
「ぶ・・・・・・」
吐くか、と一瞬覚悟した。
が、吐き出したものは胃の中のものではなく、驚くほど明るい哄笑だった。
文字通り、わはははははは、と大口を開けての笑い声。吐寫物を撒き散らされるよりは勿論いいのだが、だからと言って、やはり処置に困るものは困るのだ。
「……笑い上戸かよ……」
処置なし、といった目で、田代先輩が階上へ行けとはっきり指さし告げる。カウンターのほかの客はオレがバーテン当時からの馴染みの顔ぶれではあったけれど、微かに苦笑しているのに目が合うと、こちらも苦笑して会釈でもするしかない。
「姫? おい、ひ め 」
がばっと上げた顔が至近距離に来る。またもや、真ん前で一対の目が、凝とオレの目を見詰める。
「変」
「……は?……」
「ヘン。可笑しい。おまえの顔が、可笑しい」
「お……っ……」
反論しようとしたが、それよりも先に依嶋の馬鹿笑いが広がる。
やめろ。顔が崩れる。
思わずそう言いたくなるほど大口開けて笑っている依嶋の口を手で塞ごうとするが、こいつは、さっきのNYタイムズの記事の切り抜きといい、ジンジャーエールのグラスといい、すんでのところで逃げるのが上手い。
「田代さんも変」
と、オレの腕からすり抜けて、カウンターの中の田代さんを指差して呵呵大笑。
「いいから、姫。さっさとそいつ連れて、二階{うえ}へ上がれ」
さすがに田代先輩も呆れて、厄介払いをかける。
泣き上戸は始末に終えないと言うが、笑い上戸も困るじゃないか、と思いつつ、なんとか背後から依嶋の肩にアームロックをかけると、ぐいと羽交い絞めに押さえた鎖骨の手触りと、斜め後ろから見る二つ開けたシャツの喉元に、ぞくりとするものを感じる。うん。そうだ。やっぱり、これだ。
「手伝おうか? 姫ちゃん」
馴染み客のひとりが親切にも声をかけてくれた。その声に、鎖骨に触って喜んでいる場合ではない、と正気に引き戻され、慌てて依嶋の体を押さえる腕に冷静に力を入れた ―― つもりが、またもや依嶋にあえなく外される。
「おい、いい加減、捕まえさせねぇか!」
ワイシャツの襟首を引っ掴んで引き寄せると、3番目のボタンが弾け飛んだ。
「姫」
大きく荒げた声ではないが、田代先輩の声に一瞬しんとなる。はじけとんだボタンが、カツンと床に落ちた音のほうが大きく響いた。
オレも、今のひと声はまずかったと自覚があるので、ばつが悪い。
「姫ちゃんのその声で怒鳴られると、役者もビビるだろうな」
さきほど手助けを申し出てくれたカウンターの客が、スツールから下りて、ボタンを拾ってくれた。
「油断していたところにちょいと、盛っただろう?」
親父よりもまだ少し上の年回りの馴染み客は、全てお見通しといった顔で、ちらといさめ加減に笑う。
「すみません」
ぺろりと舌を出す感覚で、あっさり謝り、依嶋のボタンを受け取った。
「飲ませる前に、酒に弱いか強いかを確かめなかったほうにも責任はある。責任取って、ちゃんと連れて帰ってやりな。いい大人になったやつが、そこいらで転がってるのは、みったぐね」
イントネーションも完璧な標準語なのに、時折混じる効果的なおくに言葉に、その場の雰囲気がふっと緩んだ。さすが。先は大物監督と巷に言われる、大物と言われるにはまだ少し若い映画監督は、絞るのも緩めるのも巧い。オレがこの店でシェイカー振ってるころからのお馴染みさんは、それだけ言うと、また自分のスツールに戻った。
「依嶋。おい、依嶋。帰るぞ。送っていくから」
オレがシャツの首ねっこを掴んでいるのもあるが、立ったままカウンターに突っ伏して、なんだかその姿勢の割には気持ち良さげな……寝息? 田代先輩と顔をみあわせて、笑うしかない。
「荷物はこれだと思うんだが」
田代先輩が指し示したのは、機内にも持ち込める大きさのゼロハリバートンだった。半分酔っ払い、半分寝惚けている依嶋をなんとか歩かせ、半地下のバーから出ると霧のような小雨だった。
クリスマスを2日後に控え、街はクリスマスムードというか年末モードというか、明らかに浮かれ加減の軽薄さのおかげで、時間は日付が変わろうとしているのに、まだ宵の口のような人出だ。
時間を感じさせるのは、タクシーの空車の台数が少ないことで、目の前に来る車がどれも賃車であることか。
「依嶋。おい。家、何処だ」
車道と依嶋を見比べつつ、たずねたが、返事がある前に空車が来てしまった。
「ちっ。タイミングがいいんだか、悪いんだか」
依嶋を後部座席に押し込み、トランクを開けてもらってスーツケースを放り込む。それから自分も乗り込もうとしたら、店から田代さんが出てきた。
「これ、おまえの上着と、こっちはたぶん依嶋の」
オレのくたびれた革ジャンと、ガーメントケースをひとつ手渡される。
「依嶋の?」
「ああ。中の……上着にネームが入っていたから」
確認してくれたなら間違いない。強くはないけれど、冷たい雨から逃れたくて、兎に角、革ジャンもガーメントケースも抱え込んで、タクシーに乗った。

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(*1)カンバン=ポスターやチラシの写真に顔を載せる

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