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Sleep Warm 1 – Saturday -

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Sleep Warm 1 – Saturday -

「ただいま帰りました」
マンションのクロークで声をかけクロークの橘さんがすぐに出てきてくれた。
「蓮くん、おかえりなさい。お疲れさま」
「ただいま帰りました。これ、ほんのちょっとだけですが」
「生わさびですか。嬉しいですねえ。あ。これね。鍵」
少しふくらみのある封筒を受け取る。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。遠慮なくいただきます。今晩は美味しいわさびで一杯いただくとします。それより、珍しいですね。蓮くんが鍵を忘れるなんて」
「事務所に置いたまま出張に出ちゃって。事務所の鍵は事務の女の子に預けちゃいまして」
「週末ですからね。姫ちゃんが忘れん坊さんで良かったですね」
「はい」
ふたりしてくすっと笑う。今頃、姫はくしゃみをしているに違いない。しょっちゅう鍵を忘れて出かける姫のために、橘さんに合鍵を預けてある。もちろん、普通のクロークでは鍵なんて預かってくれない。蓮の個人的な知り合いで、信頼できる人なのでお願いしているのだ。
もう一度礼を言って、エレベータに向かった。
姫は今日は深夜になると聞いているから、食事も一人なら、適当に済ませるか、と思いながら玄関を開けた。リビングにまっすぐ入って、いつもの蓮のコースは、コートと上着を脱いで畳んだらソファの背に一旦掛け、シャツの袖を折りながら洗面所に行き、手を洗う。
が、その途中で、ん?と足を止める。
ソファで囲まれた内側に沿ってクッションが置かれ、そのさらにセンターにはこたつが置かれている。
「こたつ?」
呟くが、当然、誰の返答もない。こたつが返事するわけもなし。
こたつ板の上にはメモらしきものが置いてある。
ソファを乗り越えて、メモを手にする。自分が書いたわけがないから、もちろん、姫の字だ。
『おかえり。
今晩は打ち合わせ兼飲み会でかなり遅くなります。鍵は持っているので、先に休んでください。』
当たり前だ。バカ。
鍵を閉めて出て行ってるんだから鍵は持っているのが当たり前だろうが、
突っ込みを入れながら、笑う気になれないのは、目の前のこたつのせいだ。
「こんなもん買ったら、ここから出なくなる奴が約1名いるってのに」
こたつは暖かい。北国の生まれだから、この暖房器具の良さは十分に知っている。いや、実を言うと、暖房能力で言えば、エアコンや床暖やガスストーブに敵うべくもないが、何よりこたつの持つ雰囲気が、家の中を暖かくする、「団欒」という空気感だ。
だから。
「知らないぞ。出られなくなるんだから」
もう一度呟いて、とりあえず、いつものコースに戻る。
手を洗い、コートと上着をクローゼットにかけて、―― こたつを見る。
コーヒーを(インスタントでいいか、と無気力に襲われて)入れて、―― こたつを見る。
しばらくそのまま、こたつから目を離せなくなり、こたつを見ながらコーヒーを半分ほど飲んで、―― がっくりとテーブルに突っ伏した、ひとりの土曜日の夜。

@@@

がちゃがちゃ、と鍵を開ける音がして、ドアの開閉と、靴を脱ぐ音。ああ、帰ってきたか、と思う。知らん振りしてこのまま寝たふりしようかとも思うが、今晩このままモヤモヤを抱えて眠りながら問題を先送りして明日の朝から気分悪くなるのと、今、即やりあうのと、どっちか。
「・・・寝てる、か」
「あ。起きてる」
寝室を覗いて呟いた姫の声に、思わず反応してしまった。
まあ、今晩で解決できるなら、それもいいか、と布団から抜け出す、深夜1時。
とりあえずは「おかえり」から始める。
「起こしちゃってごめん」
「いや。まだ眠ってなかったから」
「明日から立ち稽古で遅い日が続くからさ」
おかえりが言いたくて、と言われると、怒れなくなるよな。ふつー。
それを、多分、計算でなく、素で言うところが始末に負えないというか。・・・愛すべき点か。
お互い忙しい時は、朝も夜もキレイにすれ違う時も多く、1週間直接口を聞かないなんてこともザラにある。が、1週間、片方が留守にすることは余り無い。
「おかえり」と、言われて、多分普段なら、「ただいま」を言って、留守をしていた間の話をしながら、どちらかがコーヒーでも淹れて、なんとなくソファだの床だのに座って、どちらかが相手の髪をーー自分が触るなら姫の前髪を、姫が触ってくるなら来るなら首の後ろのしっぽを触りながら、1週間ぶりに相手がそこにいることを実感していられるのに、などと考えているそばから、「コーヒーここ置くぞ」と、頭からなんともなかったかのようにこたつの上にマグカップを置かれて、かちんときてしまった。
「俺、もう寝るところだから」
出来るだけなんでもない風を装ったつもりで言ったと思うが、姫にしてみたら、こっちの気持ちの微妙な雰囲気は丸分かりだったのだと思う。
あるいは、奴には奴の思い描いていたシナリオがあったのだろうとも思う。
演出家なんて、演出のプロかもしれないが、残念ながら、生きている人間、すべからく役者ではないのだ。
「風呂、沸いてるよ」
真正面から怒りの題材に切り込んでいくには、まだ踏ん切りがつかない。頭の何処かでは、『たかがこたつ』と思っているからだ。なのに、心の大半が、『(俺は)要らないってあれほど言ったのに』とむくれていて自分で自分を宥められないでいる。大人げないのはわかっているが、相手が他ならぬ姫だけに、抑えきれない感情というのもある。
「悪いけど、かなり疲れたから先に寝る」
返事を待たずに背中を向ける。キリと痛むのは、胸なのか胃なのかわからないけど、背中を振り向きたいはずなのに振り向けない枷が身体を縫い固めているようで、苛立つ。
「そっか。・・・ごめん」
謝るところが違うだろう、と言いたくて、本当はそれを笑って怒りたくて、それなのにそうさせないのは姫の態度が悪いんだと腹を立てる。結果。
「こんなもん買うなって言ったのに」
零れたミルクは還らない。
完全な捨て台詞にして、寝室へ逃げ込む。足どりこそ精一杯の虚勢で、ゆっくり落ち着いて歩いてみせたが、実際は姫の目にどう見えてただろうか。
寝室に行って、珍しく明かりを完全に消す。寝室との境はすりガラスなので、姫がリビングにいる限りは、明かりも漏れてくるだろう。今、自分が、膨れっ面なのか泣きっ面なのかもわからないが、とにかく姫に見られたくない顔をしていることだけはわかる。
この上、明日の朝、どんな顔をすればいいかを考えなくてはならないのか。
こんな時、酒が飲めればどんなにかいいのに、などと埒もないことを考える。
酒の力を借りれば、「さっきはごめん」なんて言えるのか?
酒の力を借りれば、「なんでこんなの買ったりしたんだよ」と笑い飛ばせるか?
――酒の力を借りなくちゃ、自分の気持ちを素直に姫に言えないのか、俺は。
もしもそうだとしても、どうせ飲めるはずもない酒に幻想を抱いて、それでどうなるんだろう。
「ばかばかしい」
毛布を頭から引っかぶって、一人言ちた。
やがて、ふと気が付くと眠っていたのか、と、当然目覚めたときに気がついた。悩んでいようが、怒っていようが、眠くなるとちゃんと眠れるわけだ。
リビングの明かりは消えて、時計の蓄光の文字盤と針だけが光る。暗闇で眠るのは好きではないので、何か明かりを探してしまう。時計の文字盤と針では心もとなく、つい習慣で隣にあるはずの温もりを探そうと腕が動いて身動ぐと、ベッドが軋んだ。それに呼応するかのように、自分の体とは少しずれた隣でも同じように、まるで、「お。起きたのか?」という科白のようにベッドが軋む。
それへ返事をしたくて、ひめ、と喉から零れ落ちそうになるのを、歯を噛みしめることで飲み込む。
と、今度は大きく隣でベッドが揺れた。姫が体を起こし、息を潜めて待っていると思った。
数十秒か、数分か、寂黙に互いの呼吸が沈んでいくのを一つずつ数えるうちに、お互いの呼吸がぴたりと重なるのを感じたときに、姫がひとつ息を吐いて、するりとベッドから抜け出していった。
体をゆっくりと俯せにする。できるだけベッドが揺れないように。
そうっと右腕を伸ばした。そこにいない温もりを探すようにシーツを撫ぜる。
この季節の夜中の寝室は、あっという間に姫の温もりを奪っていったようで、ひんやりとしたシーツの手触りに、風邪の引き始めの寒さのように首筋が冷たくなる。
明けない夜はないかもしれないけれど、「終わり」になる夜はあるかもしれない。
唇が震える。話さなきゃいけない言葉をたくさん持っているくせに、たったひとつ、「意地」だけが全力で口を閉じさせようとする。

@@@

どのくらいそうしていたかわからないが、何を考えたでもなく、ただ、衝動的に起き上がり、リビングへと急いだ。
舞台図面を広げたこたつに突っ伏して、姫が眠っていた。
「この季節にタンクトップで寝るバカもいるんだ」
いくらこたつに入っているからと言って、リビングのエアコンは切れている。冷えていく部屋の中で、姫のむき出しの腕もかなり冷たくなっているだろう。寝室の椅子の背にかけてあったどんぶくを持ってくる。と、気づけば、ちゃっかり缶ビールまで飲んでいる。
こちらは酒が飲めなくて、どれだけ、酒でも飲んで酔っ払って寝てしまえたら、と思ったことか、と腹立たしくなる。
手にしていたどんぶくを、ばさっと頭から掛けてやったが、起きる気配もなく、凝と姫は体勢を変えることなくそのまま寝続けているようである。
「留守にしてた間、相当不摂生していたな」
こんな仕打ちをされて起きないほど深く寝ている姫に、呆れてため息が出る。
頭にかぶさったどんぶくを、そおっと持ち上げてみる。気持ち良さげな寝息と、姫の髪の匂いが、懐かしい。たった1週間だけ離れていただけだったのに。
どんぶくをずらして、肩に掛けなおしてやる。
「すっげー似合うけどね」
どんぶく、
こたつ、
姫、
缶ビール。
「一升瓶でも似合うな、この画{え}」
くすっと笑いが漏れた瞬間に、肩の力が抜けた。なんとなく、素直に怒ってみることができるような気がしてきた。
缶ビールを持ち上げて、まだ少し重り残る缶の口に、口をつけてみる。もちろん中身は飲めないのだが。
「続きは明日、な」
姫のつむじを指で突いて、寝室へと足を向けた。
少し肚が据わった。と思う。日付は日曜日に変わってしまった深夜。

<Sleep Warm 2へ続く>

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