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Sleep Warm 4 – Tuesday –

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Sleep Warm 4 – Tuesday –

漫然と仕事をしていると、ミスが多くなるのは当たり前である。反省はしつつ、それでもやる気が出ないまま終業時間を迎え、コンサルティング・パートナーに大きなため息とともに、疲れているようなので今日は帰って休んだらどうか、とまで言われて、諦めて帰路についた夕刻。冬の暮れ方は早い。すっかり暗い中、賑やかな大通りをふらふら歩いていると、声を掛けられた。
「依嶋さん。乗っていきませんか」
コインパーキングから出てくる車の運転席に太市がいた。
「この近くに衣装を縫ってもらっている縫製スタジオがあるんです。新宿の小屋(*1)で仕事の帰りにピックアップして来い、って先輩が」
「立ってるものは親でも使うってわけだ」
「そう。ましてや後輩。とことん使い倒せってところですからね」
太市の軽口に、口許だけで笑う。と、太市がこちらをちらりと見た。
「なんか、疲れてます?」
「・・・先週。1週間の出張だったんだ。昨日が代休だったから、調子が狂ったみたいでね」
「ああ。そういえば、先輩が週末、喜んでました。依嶋さんがやっと帰ってくるって」
途端に週末の、部屋でこたつを見たときからの一連の苦い思いが蘇る。
「今晩、姫は?」
「スポンサーがこの後、稽古見に来て、一緒に出るんじゃないですかね」
つまり、飲みに行って遅くなるってことか。
「なんか、先輩も疲れてるみたいでしたけどね。数少ないスポンサーだから」
おつきあいも大事にしないと、と、太市も一緒に行くのだと苦笑する。
「衛生兵が一緒なら、安心だ」
太市は酒に強い。少なくとも、自分は太市の酔っ払ったところを見たことがない。
ちゃんと送り届けますよ、と笑う太市が、実にさらっと、「喧嘩中でもちゃんと心配するんですね」と付け加えた。
驚いて声も出ずに太市のほうを見たら、ちょうど信号で停車した。
「当たってました? ただの勘でカマ掛けてみただけなんですけど」
いつもの太市の人のいい笑顔でさらっと言われると、全く怒る気がしない。苦笑いして、当たり、と答える。
「どうせ先輩が意地張ってるんでしょうけど、そろそろなんとかしてやってもらえませんか」
「太市は俺とのつきあいより、姫とのつきあいのほうが長いから、そんなふうに思うんだろうな。・・・意地を張ってるのは、俺のほうなんだ。たぶん」
へえ、という顔をしながら車を発進させ、繁華街の真ん中へ車を進める。
「顔、見ていきませんか」
稽古場がもうすぐということか。
被りを振って、強がりの笑いを少しだけ見せる。
「ほんとだ。先輩よりも依嶋さんのほうが意地っ張りかも」
メトロへの入り口近くに車を停められた。車を降りようとすると、太市が言った。
「今晩は飲み会でおそおそになると思いますが、明日の夜は、稽古は休みです。明後日の仕込みの段取りで昼間、小屋(*2)のほうと最終打ち合わせがあるだけで」
ちなみに、と、小屋の場所まで教えられる。
「明日は平日だから、俺は普通に仕事だよ」
「定時に仕事が終わってからあのあたりをふらふらされると、ちょうど良いかもしれませんね」
打ち合わせがちょうど終わるだろう、ということか。
「おまえって、意外におせっかいだね」
「演出家の機嫌が悪いのには、これ以上耐えられなくて」
からからと笑われた。そんなに現場で機嫌が悪いのか、姫は、とちょっと呆れるが、自分の今日の仕事ぶりを振り返ると、姫のことを言えた義理ではないと思い返す。
送ってもらった礼を言って、車を見送ると、今晩は最初から食事を作らず、田代さんのところででも食べるつもりで、BARを目指した。食事なんてひとりでも平気だけど、と嘯きながら。

@@@

BARたしろで軽く食べて帰宅して、何をしていたわけでもないのだが、だらだらと過ごしていたら、気が付けば日付が変わっていた。それでも変わらずノロノロと風呂に湯を張り、服を脱いでいると、洗面台に丸くクセのついた台本が置いてあるのが目に入った。
「また、随分前のを・・・」
Collarboneの台本だ。
姫はよほど時間的ゆとりがない場合、つまり、心にゆとりが持てない場合でなければ、湯船に浸かって何か読む。一番多いのは、小説か台本だ。自分が手がけた仕事でもう終了した仕事の台本や、神保町を回ったりして手に入れた、映画やドラマの台本を読んで長風呂する。
何度、風呂場を覗きにきたことか。風呂で溺死でもしてはいないかと気になり、洗面所から声をかけるのだが、熱中して返事も寄越さないので、結局ドアを開けることになるのだ。同居を始めた当時は、そうして風呂場を覗かれる度に焦っていた姫を懐かしく思い出す。
Collarboneの台本をランドリーラックの上に置く。が、ふと、もう一度手に取り直し、持ったまま風呂場に入った。
ざっと頭と身体を洗い、風呂ふたを半分ほど閉めて湯船に入る。いつもは自分は使ったこともないが、姫は大抵、こうしてテーブル代わりにして本を読んでいる。台本が濡れないよう、乾いたタオルを一枚持ってきて、ふたを拭いてから台本を広げた。
「姫が実際に使っていた台本か」
赤や青で書き込みがたくさんある。削除、追加、演出上の指示、稽古中に思いついたメモ。台本よりも面白い。今進行中の仕事の台本も、こんな状態になっているのだろう。
台本を閉じて、湯船に身体を沈める。途端に睡魔が襲ってきた。そもそもが、姫のようにゆっくり湯船に入る習慣はない。よくも湯船に浸かってじっくり活字を読めるもんだ、と思う。ふたの上に広げた乾いたタオルの上に頬を置いて、目を閉じると気持ちが良かった。たまにはこういう風呂の入り方もいいのかも、と思いながら、そろそろ上がらないと逆上せてしまう、とも考えるが、温めに入れた湯は肌に柔らかくまとわりつき、もう少しくらいなら大丈夫か、とついつい思ってしまう。
「まだ、帰ってこないのかな」
姫が家にいないとなると、妙な安心感で思ったままの言葉を呟ける。
太市は、かなり遅くなるように言っていた。
「早く帰ってくればいいのに」
素直な言葉を口に出すと、肩に入っていた力が抜けていく気がする。
他に、何が言いたかったっけ、と思いながら、気が抜けていくのを如実に感じていた。
風呂の湯程度でも浮力っていうのは結構あるもんだな、と思いながら、その一方で、夢を見ていることを感じる。波打ち際で寝転んで、寄せ返す波で、ほんのわずかに身体が浮く程度の浮遊感を楽しんでいる気分でいると、姫が話しかけてくる。「こんなところで寝ていると、そのうち波に連れて行かれるぞ」と言いながらうなじの少し伸ばした髪を軽く引っ張る。軽くひっぱられたわりに、ぐい、と強く引っ張られた感があり、文句を言うと、「文句を言うな」と怒られる。
「ほれ、起きろ」と脇に手を入れられて、自分で起きれると文句を言い、姫の手を借りながら立ち上がって、砂浜って足元がふにゃふにゃしている、と文句を言いながら歩き出した。ほら見ろ、ちゃんと歩けるんだから、とか言いながら、姫が持ってきてくれたバスタオルを身体に巻きつけ、海から上がると寒いな、と笑うと、姫が上着をかけてくれたところで夢の記憶は終わる。
次の記憶はソファの上から再開された。毛布に包まって、バスローブで寝ていることがわかると、どうやってここに至ったかが謎ではあったが、風呂で眠くなった記憶まではあるので、まあ、沈まずになんとかリビングまでは辿り着いたか、と想像できた。
「あ。台本」
風呂の中に置いたままだと湯気でふにゃふにゃになってしまう、と慌てて毛布から出ようとすると、こたつの上の台本が目に入ってほっとする。
「持ってきたのか」
台本の向こうに、突っ伏して寝ている姫がやっと目に入った。
酒くさ、と眉を顰める。どのくらい飲んだのだろう。どうせ、太市が送ってきてくれたのだろうが、玄関まで上がって来た気配はない(と思う)ので、マンションの下まで送ってもらって、自力で部屋まで戻ってきたと思える。
リビングの時計を見ると、夜中の3時半を回っていた。
「いつ、帰ったのかな」
台本を持ち出したのを見られたと思うと、気恥ずかしかった。
そうっと毛布から抜け出し、台本を風呂場へ戻すとリビングに戻り、寝ている姫に毛布をかけた。と、手首を掴まれる。
「・・・姫?」
だが、掴んだまま姫は目を覚まさない。
「寝ぼけているのか」
手首を掴んだ指を外そうと、ゆっくりと指を剥がすと、その指を、指を剥がしたこちらの指に絡めてきた。きゅっと握られて、思わず胸を捕まれたように苦しくなる。
「明日は、打ち合わせだけ、って太市が言ってたっけ」
ゆっくり休め、と一人言ちて、離れがたいが指を離す。水のペットボトルを持ってきてテーブルに置き、寝室へ引き上げた。
ベッドの真ん中に腕を広げて横たわってみる。
「意外と広い、かも」
意外も何もない。それなりにタッパのある男二人が寝るのだから、と姫がキングサイズのベッドを買ったのだ。
そういえば、このベッドを買ったときも、姫がひとりでこっそり買って、部屋に入れておいたんだっけ。
そもそも、ひとりずつがセミダブルのベッドで部屋の端と端にベッドを置いた共同生活をしていた。それが、互いのベッドを行き来するようになり、ベッドをくっつけて眠るようになり――。
笑いが込み上げてきた。抑えきれず、小さく吹き出す。
「橘さんを外へ連れ出す手筈まで整えて、このベッド、運び込んだんだもんな」
大きな荷物を運ぶのには、マンションのエントランスにあるクローク前から大型エレベータに乗らなくては運べない。しかしそのエレベータを使うとなると、コンシェルジュの橘さんに見られてしまうであろうことを憚って、姫はBARたしろで行われたミニコンサートにわざわざ橘さんを誘い出す算段をして、その日その時間に合わせて、このベッドを運び込んだのだ。コンサートでピアノを弾かされていた自分にも内緒で。
「俺に内緒で家具を買うのがくせになってるな、あいつは」
口に出してぼやいてみると、笑いたいような、泣きたいような気持ちになる。
たかが喧嘩、だ。
たかがこたつ、だし。
こたつはもう、すっかり部屋の雰囲気に馴染んでいる。未だに自分が受け入れられないでいるのは。
「俺自身、だ」
意地を張っている自分と、意地なんてかなぐり捨ててしまいたい自分とのせめぎあいなのだ。さっき、姫が寝ぼけて繋いできた指を離したくなかった自分が、多分、一番素直な自分なのに。
ゆらりと身体を引き上げて、自分の右側に空間を作ると、その空き空間に背を向けて、目を閉じた。火曜日の夜が通り過ぎて、水曜日の朝を待つ未明。

 <Sleep Warm 5へ続く>

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(*1)劇場や会場のこと。

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