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花星夜

花月夜

ちょうど深夜12時を回った頃。
ドアが開く音がする。隣の部屋だ。
北斗は鉛筆を置いて、伸びをした。
数分後、ひたひたという微かな音を聞きつけ、北斗は自分の部屋のドアをそっと開ける。きいーという高い軋み音でルームメイトたちが起きなかったことを確認して廊下へ出ると、スリッパを片方脱いで、ドアの隙間に差し込んでおいた。再び開けるときに、音を立てないで済むようにだ。
廊下に待っていたかのように立っている自分と同じ顔に、話し掛ける。
「昴、まだ起きてたの」
「そっちこそ」
北斗と同じ顔には、心なしか、目の下にうっすらクマができているようだ。
「寝たほうがいんでないの。顔色悪いぞ」
ん~~~~、と唸りながら髪をがしゃがしゃと掻き混ぜると、昴がしゃがみこんだ。
「おい?」
北斗も膝を折って、昴を覗き込んだ
「どうした?」
顔を近づけると、昴に肩を押し遣られる。気を抜いていたせいで、簡単にしりもちをついた。
「寄んなって。風邪移っから」
昨日からごほごほ咳をし出した昴の部屋からは、昴のルームメイト2名が逃げ出して、隣の北斗の部屋に避難してきている。風邪を移されたくないからだ。中学3年になって初めての考査。目標とする高校が決められる。自分が行きたいところに成績が届くかどうかの心配なのか、ただただ、1点でも上位の成績が取りたいだけなのかはわからないが、とりあえず、周囲がみんな必死になっているから、つい自分も必死になる。ナンセンスだと思いながらも、周囲に合わせて、一応、教科書を広げて夜更かしをしてはみるが、隣の部屋から咳が聞こえるたびに気になって、北斗の頭の中印は英単語のひとつ、数式のひとつも入ってこなかった。
「なーんか、余裕の顔してんなー」
昴が、がらがら声で壁を背にしてぼやく。
「別に余裕があるわけじゃないよ」
でも、少なくとも、熱はないほうが有利だろうな、と北斗は昴の額に手を伸ばした。
「やっぱり」
昴は風邪を引くと大抵、まず熱を出す。それから喉が枯れて咳が出て、鼻水。北斗はその逆だ。
「風邪薬、飲んだか?」
「ばーか。飲むと眠くなるじゃん」
明日、試験だってのに飲むバカいないだろう、と昴が笑った。
「あ」
「え?」
昴が、北斗の肩越しに何かを見たらしく、小さく叫んだ。寮の見回りかと思い、北斗もギクッとして振り返る。と、北斗の部屋のドアに挟まれたスリッパが部屋の中に吸い込まれ、ドアが静かに閉まるところだった。
「おい・・・!」
ばか、大声出すなって、と昴に羽交い絞めにされて口を手で塞がれる。
がちゃ、と内鍵が閉められる音が響いた。
「あ~あ・・・」
ふたりの声が揃う。昴の声は幾分掠れてはいるが、見事にユニゾンだ。
「締め出されたな」
「ちぇ」
北斗の部屋は3人部屋をふたりで使っている。つまり、ベッドは1つ空いているわけだが、昴の部屋から逃げ出したルームメイトは2人。北斗を追い出せば、全員、一人にひとつのベッドで寝られるわけだ。
「待ってろ。窓から部屋に入って開けてきてやるから」
2階だが、昴はときどき、窓越しに昴の部屋に遊びにくる。なので、いつものように窓から入ってきてやると言うのだが、熱のある弟にそんな危ない真似はさせられない。
「いいよ。そっちで寝るから。ベッドは空いてるわけだし。
「バカ。風邪移るぞ。それでほかのやつら、逃げ出したってのに」
「今移っても、症状出るのは3日後くらいだ。テストが終わってからだろ。ほら、部屋入ろ」
そろそろ寮の見回りも来るころだし、と昴の背中を押して部屋に入った。間一髪、部屋に入って暫くすると、寮長が部屋の前を通っていく足音が聞こえた。
足音が小さくなり、おそらく廊下を曲がって行っただろうと思われる十数秒後、ふたりで顔を見合わせて笑い、肩の力を抜いた。
「さて。寝るか」
「オレ、まだ寝ねーぞ」
電子辞書を手にして昴が言った。
「おまえ、バカか。熱があるのに、詰め込んだって覚えてないって。諦めろよ」
「やだね」
しばらく睨み合う。
「なんで今回は諦めが悪いんだよ。いっつもなら、おまえのほうがとっとと諦めて寝るクチなのに」
「今回は諦めない。それだけだ」
「だからその理由を訊いてんだろ」
「なんでもねーって。ほら、北斗はとっとと寝ればいいだろ」
歯切れの悪い昴の言い方に納得はいかないものの、こういう意固地なところは自分にもあるから責めても無駄だとわかっている。北斗は諦めてベッドに潜りこんだ。
「あっ。オレのベッド。ほかのベッドで寝ろよ」
「ほかのヤツのベッドでなんか寝たくない」
「オレだって嫌だよ」
毛布を体に巻きつけ、北斗は昴のベッドから出る気がないという姿勢を見せた。
「ほら。北斗。あっち行けって」
「やだね」
毛布のミノムシの上に馬乗りになって、昴が毛布を引き剥がそうとするが、北斗もがっちりと体に巻き付けている。
「んもー」
最後の手段、と呟く昴に、北斗が「うん?」と訝しげに言うが早いか、昴に毛布ごと体を持ち上げられた。
「わっ。バカ昴。やめ」
「るせっ。どかねーからだ」
「だからってこれは卑怯だろ」
「どっちがだよ。人のベッド取るほうが悪い、っと、暴れるなって」
バランスを崩した昴が、ミノムシの北斗を抱えたまましりもちをついた。
「昴! 大丈夫?」
「・・・いてー」
しりもちをついたまま後ろに倒れ込み、床に寝そべったまま起き上がらない昴を心配して、北斗が毛布から抜け出して昴の顔を覗き込んだ。
「・・・熱あんだからさ、手加減しろって」
昴の額に手を置いて、北斗が、ごめん、と呟いた。
「昴?」
目を開けてはいるものの、北斗の顔を見ていないでどこか別の方向を見ている昴に、北斗が呼びかけた。
「――桜」
北斗も、昴が見ている方向を見た。
窓の外、桜の枝が一枝見えている。
「寮の脇の桜だ」
「部屋から見えるんだ? 知らなかった」
「机に座ってると見えない」
なるほど。床に寝そべったこの角度からしか見えないだろう。本当にたった一枝だけ、かろうじて窓の端に覗いている。その枝のすぐ横に、ふたつ並んだ星が、まるで枝にこしかけているように光っている。
暫くふたりで床に並んで寝転がったまま、花見をしていたが、ぐしゅっ、と昴がくしゃみをしたことで北斗も我に返った。
毛布を解いて、先に起き上がった北斗は、昴の腕を引っ張った。
「ほら。風邪が進行してる」
「ん?」
「昴の風邪、熱から咳に進んで、鼻にくるだろ、いつも」
「そうだっけ?」
鼻をすすりながら、昴も起き上がった。
「ベッド、使っていいよ」
「昴は?」
ちら、と机の上を見て、昴がぽつりと言った。
「――寝る」
くすっと笑って、北斗がベッドに上がると、体をずらして場所を空けた。それを見た昴が、何か言いたそうにしながらも、電子辞書を片手に、同じベッドに入ってくる。
「知らねーぞ、もう。移っても」
北斗ももう、それについては何も言わない。声もなく笑って、昴を毛布の中へ招き入れた。
悪あがきで、昴はそれでもまだ、北斗の隣で電子辞書を見ている。
「ほんっと諦め悪いな。どうしたんだ?」
「うるさいなー。諦めたくないから諦めないってだけだよ」
「だから諦めたくない理由はなんだっての」
電子辞書の画面を眺めたまま、それでも昴は黙っていた。
諦めたのは北斗のほうで、大きくため息をついて、目を閉じた。
「適当なところで切り上げろよ。熱がある上に、まったく寝ないと、余計頭が働かないぞ」
それでも昴は黙って電子辞書を操作するだけだった。
やがて、目を瞑った北斗の呼吸が浅く規則正しくなったところで、ようやく昴がそっと電子辞書から目線を外して、北斗の顔を見る。
「一緒のガッコ行きてーんだから、やるしかないだろ」
ため息をついて、電子辞書のスイッチを切った。
部活に夢中になってたから、というのは言い訳でしかない。まだあと半年、部活はあるが、受験までは一年無い。ということは、部活をしながら、自分は北斗に追いつかないと、同じ学校を受けることはできないわけだ。
「それに気づいたのが昨日だってんだから、おせーよな」
同じクラスの友人に、北斗の成績がいいことを言われて、はたと気が付いたのだ。このままでは、同じ学校を受けることすらできないかもしれない、と。
もそ、と昴が、北斗に背を向けて、毛布の中に深く潜り込んで、再び、電子辞書の画面を点ける。と、背後から北斗の手がにょきっと伸びてきて辞書を取り上げた。
「いい加減にしろ」
「わ」
振り向こうとすると、背中から北斗に抱き付かれる。
「同じレベルまでは行けるよ。心配すんなって」
「なんの根拠があって」
「同じ遺伝子なんだから、頭の造りはおんなじなの」
「つくりは一緒でも、使いこなせねーかも」
「大丈夫。使い方、教えてやるから」
にーちゃんの言うこと、ちゃんと聞けば大丈夫。
北斗が昴の頭を抱いて、くしゃっと髪をかきまぜた。
母のお腹の中にいる間に、昴は胎児のまま手術を受けたと聞いている。そのために北斗は予定より3週間早く母のお腹から出された。誕生日が異なる双子。あるいは3週間しか誕生日が違わない、正真正銘同じ両親から生まれた兄弟。
「にーちゃん、ね」
北斗は知らないだろう。時々、この、絶対に無視することのできない3週間に昴がもどかしさを感じていることに。双子という名前を与えられていながら、歴然と存在する誕生のタイムラグ。同じ誕生日を持つ双子なら、もっと接戦を楽しめるのに、と悔しく思う。
べつに、北斗が普段から兄貴風を吹かしているわけでもない。それなのに、こうして抱きかかえられていると、とてつもなく自分がか弱くて頼りない存在に思えてならない。
無理やりに眠ろうとして、ぎゅっと目を瞑ると、頭に力が入るのか、目を瞑っているのにクラクラする。あ、そうか、熱が出てたっけ、と思って身動ぎすると、北斗が「眠れないのか」と訊いてきたので、慌てて呼吸を抑えて眠った振りをした。
「昴? 寝た?」
できるだけ目を動かさず、(鼻が詰まって苦しいので)小さく口を開いてゆっくり数を数えながら息をする。子どもの頃から寝た振りは得意な昴だ。
知ってか知らずか、北斗が手を緩めて、昴の首の付け根に自分の額を押し当てて呟いた。
「心配しなくても、おまえのほうがいつだって追い抜いていくじゃん」
3週間早く母のお腹から放り出された分、小さく生まれた。昴のほうが病気を持っていた分、栄養が行っていなかったのだ、と聞かされて育ったけど、物心ついたときから、昴のほうが体も大きく、特に運動では昴のほうがいつも勝っていた。走るのも、跳ぶのも、投げるのも。
3週間お兄ちゃんなのにね、と比べられるのが嫌で、いつしか昴とは違うものを探す自分がいた。自分が殊更、「お兄ちゃん」の振りをしていることも自覚している。そう言い続けていなければ、昴より3週間早く生まれた意味が何もなくなる気がしてしまうのだ。
昴に「お兄ちゃん」を押し付けている済まなさが大きくなると、時々こうして自分に嫌気が差す。
それぞれがそれぞれの思いを抱いたまま、互いの呼吸を数えるようにして寄り添う。
くしゅ、と昴の背後で小さなくしゃみが聞こえた。
「北斗っ?」
がば、と昴が起き上がって振り返る。
「寒い? 風邪引いた? だから移るってあれほど言ったのに」
昴が慌てて毛布で北斗の身体を包み直す。
北斗が毛布の中から手首から先だけ出して手招きした。
「何?
顔を近づけた昴の身体を、ぐい、と北斗が抱き寄せた。
「『毒を食らわば皿まで』。意味を述べよ」
毛布の中で、しっかり首っ玉にかじりついてきた北斗が明るく言った。
「なんだ、それ?」
「意味を述べよ」
北斗が楽しそうに繰り返す。
「え~っと・・・」
真面目に考え込んだ昴がもう一度くしゃみをするのと同時に、北斗がくしゃみをする。
「きったねー」
「おたがいさまだろ」
互いの頬に飛んだ唾を自分の手で拭いながら、顔を見合わせて笑った。
「風邪、移しちまったな」
「言ったろ。『毒を食らわば皿まで』って」
「なんなんだよ、それ?」
「昴と一緒にいるには、風邪くらい覚悟の上ってこと」
真顔に戻った北斗に言われて、一瞬、昴は怯み、次に気恥ずかしくなる。
「・・・だっ。だから、風邪引きたくなければ近づくなって」
「昴の前提条件はそっちなんだ?」
「へ?」
「俺は、昴と一緒にいるほうが優先」
俺ハ昴ト一緒ニ――。
昴が、小さく口の中で、北斗が言った科白を反芻する。科白を噛み締めるように、一言ずつ繰り返して、その言葉の意味を漸く理解する。
「――ばっ」
叫びかけたとき、「ほら」と北斗に改めて毛布をひっ被せられた。
「毛布は?」
「え?」
「毛布。英語で」
「blanket」
「掛ける」
「毛布を? ――lay over?」
「ほかには?」
「えっ・・・と・・・put on」
「自分で着るときはね」
「そか。Put overか」
「くるむ」
「wrap」
「wrapが名刺なら?」
「ラップ。包み。えーっと。ひざ掛けとか?」
「それから?」
思いつかずにムッとする昴に、「秘密」と北斗が言うと、昴は一瞬考えて、「あ、な~る」と納得した。
「じゃあ、『秘密』のほかの単語」
「secret」
「秘密を漏らすときの動詞」
「spill」
「もっと簡単な単語も」
「んーーーーー? なに?」
「tell」
ふーん、と、思いつかなかった自分に対してか、やや不満げな昴。
「どうした?」
「いや。面白いなって。こうして連想ゲームみたいにして覚えるの」
北斗が笑った。
「たぶん、昴のほうがこういうの得意だ」
ムキになるから。
ふたり、声が揃った。
昴がもうひとつ、くしゃみをする。
昴の枕に巻いてあったタオルを掴んで、北斗が昴の顔にタオルを当てた。
「明後日テストが済んだら、し明後日、練習試合だろ?」
「うん。南高」
「風邪引いてたら、使い物にならないじゃん」
「風邪ぐらいでオレが・・・」
健康管理は自己責任だ。そして、健康管理の失敗は、チームに迷惑をかけることになる。自分だけのミスでは済まなくなる。風邪ぐらいでオレが負けるかよ、と強がりを口にしかけて昴が躊躇する。負けたら、きっと、体調が悪かったからだ、と周囲が言ってくれることを心のどこかで期待している気がした。自分もそういう言い訳を用意しているのかもしれない、と思い始めた。そうするともう、北斗の言葉に何も言えなくなった。
「練習試合だから捨ててるわけじゃないだろ」
「あたりまえ。だから、テストだって」
具合悪いからって捨てないんじゃん、と昴が口をとがらせて言うと、北斗がその両頬を両手の指で摘まんだ。
「逆じゃね?」
「いててて」
昴の頬を引っ張ったまま、北斗が真面目な顔で言う。
何にムキになってるか知んないけど、ここだけで変にリキ入れて無理こいても、本番はまだ先じゃん。俺たちの目標は、本番の受験で合格しないと意味がないんだよ。明日と明後日のテストで、確かに進路のいろいろな方向性は決められるのかもしれないけど、昴たち運動部は引退してから成績伸ばして方向性が変わる人も多いんだから、照準は明日明後日じゃないと思う。
「体、無理して、残りの部活で心残り作ったら、そのあとの受験だって思い切りできないんじゃないの?」
言い終えてようやく北斗が、にっと笑う。
昴の頬を引っ張っている指も緩んだところを、昴が乱暴に払い、くるりと北斗に背を向けた。
「昴?」
「――寝る」
背中を向けていながら、さっきの「寝る」とは違い、背中の体温が北斗の身体にくっついたままである。
「北斗も寝ろよ。風邪、引かせちゃったみたいだから、早く寝て、治せ」
そう言いながら、自分の毛布を北斗のほうへと寄せて送ろうとする。
北斗はそれに気づき、黙って、毛布を押し戻して昴の肩を包む。
しばらくその攻防が続いたが、どちらともなく笑いだして、やがて、ふたりして互いの体を抱えて笑いあった。
北斗が咳き込んで、昴がスポーツバッグから封を切っていないペットボトルを持ち出してきた。
「あ。規則違反」
寮では、飲食は食堂でのみ、という規則だ。
口ではそう言いながら、噎せながら北斗がキャップを捻って口をつける。
口を離すと、昴が黙ってそのペットボトルを横取りして口をつけた。
「今度は俺の風邪が移るぞ」
残りの半分くらいを一気に飲んだ昴が、にやっと笑って「毒を食らわば皿まで」と言った。
机に軽く腰を掛けた昴の肩越しに、空を移ってきたふたご星が見えた。
( 終 )

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