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The Collarbone 4

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The Collarbone 4

《帰っては来ないのね》
「 ―― ああ。悪い」
素直に謝る。
《NYのミズ・ハリエットから伝言。『日本時間で明日の18時に成田に到着します。ホテルはマンダリン・オリエンタル。必ず約束の時間にホテルまで来るように』ですって》
「明日、ね。了解。ほかには?」
《スタジオKから、あさって丸一日、確保できました、って。詳しい時間は西田さんのほうへ電話で連絡をくれ、とのことよ。西田さんの携帯は?》
「ああ。知ってる」
《本日の業務連絡は以上。お兄ちゃん。くれぐれも早いところ、ちゃんとマネージャーを探してちょうだい。私だってヒマ持て余してるわけじゃないんだから》
「ああ」
妹が、いわゆる過保護な母親よりも口うるさくなったのはいつの頃からだったろう。母が亡くなった後だったのは勿論言うまでもないが、典型的なブラコンの妹で、恋人気取りで後をついて回っていたのがぴたりと止まったのは、やはり母が亡くなったのがきっかけだったかもしれない。大学に入って、沢山の男を見るようになったからか、はたまた出来の良い彼氏ができたがために理解できたからなのか、自分の兄貴はどうやら不甲斐ないやつだと結果を出したらしく、恋人疑きにまとわりつくことはなくなり、口やかましい年下の保護者気取りの部分だけが残った。それが真夜中十二時の電話確認である。今晩は帰るのか帰らないのか。帰らないとなれば、さっさと風呂の湯を落として自分も就寝することができるということらしい。もっとも、かなり厳格な部類に入るであろう父親から、オレのことを尋ねられたときに、とりあえず兄妹の間は破綻していないという証明のために、オレの行動を答えておく必要を彼女が感じているせいでもあるようだ。
妹との電話を切って、依嶋を起こさなかったことが確認できると、オレも急速に眠くなってきた。
「明日、布団を買いに行くくらいならつきあってやるけどな」
なぜなら、風邪を引かれたりしては、明後日の撮影がパァになる。
と、オレは勝手に、明後日、次の芝居の公演用スチルに依嶋を使うことを決め込んでいた。
絶対にあの男に負けないだけの静かな、迫力を依嶋は持っていると確信できたからだ。

@@@

最初、髪を切られている夢をみていた。美容院なんていう洒落たところでのことではなく、縁側で母が髪をつまみながらハサミで器用に切っている夢。母に髪を切ってくれていたなんて小学生の頃のことだったというのに、何故かオレは、今のオレだった。ところが、母の指でつままれていたはずの前髪が、いつしか小鳥がついばんでいるファンタジックな光景に変わっていた。最初はかるーく、時折、思いっきり引っ張るやつがいて。それが結構痛くて、手で振り払って見せる。小鳥もその手を避けながら、まだ髪を引っ張るのは止まず ―― 。
「あ?」
手に触れたのは、小鳥の羽でも嘴でも小さな足の爪でもなく、柔らかい、温かな温度を持った長い指がオレの指に一瞬絡まったのだった。
反射的に慌てて起き上がると、依嶋がソファの上からまだ手を伸ばした状態だった。
「ごめん。起こした」
至近距離二〇センチ。オレはソファの下で、ベッドに被せてあった埃避けカバーにくるまり、依嶋はどこかのダンボールを開けたのかハリバートンに入れてあったのか、昨夜とは違うシャツを着ていた。胸元はボタンふたつまで開けている。オレを覗き込んでいる体勢からは、鎖骨と鎖骨の間のくぼみがきれいに見える。疚しいところなど何もないのに、少しだけ、胸の奥で何かが揺れる気がした。白紗にハレ(*2)を起こさせて、何かが奥にあることを仄めかされるような演出をされたときの気持ちだ。
「なーに、やってんだよっ」
前髪に触っている手を叩く。母親の散髪? 小鳥? 思わず赤面してしまうほど具体直結な夢だ。
「いや。結構頑丈に立ってるなと思って」
寝癖で、掻き回されたかのようにめちゃくちゃに乱れたまま、それでも立っている毛束で遊んでいたらしい。まだ懲りずに伸ばしてこようとする手をもう一度叩いて、オレは体を起こした。
「それを剥いでくるくらいならベッドで寝てれば良かったのに」
依嶋が部屋の奥のベッドがあるほうを示す。
「他人{ひと}のベッドで勝手に横にはなれないさ」
「にしても、・・・肩、凝ってないか」
ヘンな質問だなと思ったが、確かに、丸まった背中も腰も伸びにくい。
「革ジャンくらい脱いで寝ないからだ」
そう言われて、初めて、本当に着の身着のまま横になっていたのだと気づいた。
「もう朝?」
「えーと。まだ夜明け前、かな」
依嶋が起きてから下ろしたらしいブラインドの隙間に、指を差し入れて、依嶋が窓の外を確認した。
「何時?」
「なんだ、姫、時計持ってないのか」
腕時計を見て、五時前だな、と依嶋は笑った。
「悪いな。時差ボケで、目が覚めてしまって」
「ああ。確かちょうど半日くらい時差があるんだっけ?」
自分でも携帯電話の時計表示を見て、時間を確認する。
「今はマイナス十四時間だな」
「トイレ、どこだ?」
「リビングのドアを出たところ右。俺、コンビニに買い物に行ってくるけど、何か欲しいものあるか?」
トイレの説明をしながら依嶋が立ち上がって上着を羽織り、リビングのドアを開けた。玄関から続く廊下のオレンジの灯りが漏れてまぶしい。
「コーヒーかな。インスタントでいいんだけど。・・・ここ、湯沸かせる?」
「ああ。ちゃんとキッチンは使えるから」
そう言ってから、少し考えて、「……筈」と笑って付け加えた。
「シャワーは使えたから、水も大丈夫だし、湯も出る。だからガスもつくと思う。なんなら、シャワー、使うか?」
依嶋の視線は、オレの頭に行っている。どうにも、この、整髪剤で固めたのと寝癖とでごちゃごちゃになった髪には一言もの申したいようだ。
「お言葉に甘えていいなら」
少々慇懃に答えた。
「じゃあ、バスルームはこっち。トイレの隣のドア。タオルは中にキャビネットがあるから、どれでも」
依嶋はそれだけ言うとリビングから出て行こうとした。ブラインドも下りて、いつの間にか足元にあったオレンジの小さなライトも消えているくらい部屋の床にぽつんと座り込んだオレは、思わず引き留めて訊いた。
「おい、風呂の灯り」
一瞬、依嶋が、笑った気がした。
「スイッチはここ。けどさ」
ぱち、とかすかな音がして灯りが点る。
「うわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」
リビングの、街を見下ろす大きな広い窓とは正対する側の壁が一気に明るくなる。廊下の灯りよりも一段落とした明度の照明だが、真っ暗なリビングではまるで、ショウルームのディスプレイウィンドウの灯りが点いたかのようだ。
「ガ、ガラス貼りだ・・・・・・」
「灯り入れるとこうなるから、点けずに入ったほうがいいと思うぞ。言っておくが、俺の趣味なわけじゃないからな。ここは親父がデザインしたマンションなんだ。文句があるなら、いくらでも言ってやってくれ」
靴を履くごそごそとした音から、ドアが閉まるところまでを聞いて一瞬間を置いて、やっと呟きが出た。
「ラブホみてぇ」
とりあえず、風呂場に急行する。依嶋が行くつもりにしているコンビニがどの程度近所にあるのかは知らないが、依嶋が帰ってくるまでにシャワーを終えて、服を着込んでおかなくては。

@@@

気は急いても、一度熱い湯に体を晒すと気持ちが良くて、ついシャワーの下で、修行僧よろしく、頭から湯をかぶり続ける。本当なら湯船に浸かりたい気分だが、いつ依嶋が帰ってくるかと思うと、この風呂でのんびりバスタブに体を沈める気にはなれない。
「まさか、浴槽までガラス貼りじゃねぇだろうな」
暗がりの中でなので、はっきり確認はできないが、暗さに慣れてきた目でみたところ、バスタブは透明ではないようだ。
「亡くなった人を悪く言うつもりは毛頭ないが、何を考えてこんなデザイン……」
どれがシャンプーかわからないボトルから、とりあえず取り出したもので頭を洗う。
「あれ」
電話が鳴っているのが聞こえた。自分の携帯かとも思ったが音が違うので、依嶋の携帯か、あるいは室内に電話があるならそれかもしれない。どちらにしても、自分が出る筋合いでもないから、放っておくしか仕方がないだろう。
がしがしと頭を洗い、なんとなく泡立ちの甘さに、ボディシャンプーだったかと思いながらも、洗髪を続けているうちに物音がして、依嶋が戻ってきたかと思ったが、まあ、灯りをつけてないわけだからいいか、とシャンプー(らしきもの)を洗い流していたら。
灯りが点けられた。しかもバスルームの。
前を向いても後ろを向いても素っ裸には代わりはないのだが、どちらかと言えば、普通は前を隠すだろう。なのに、反射的に壁に背を向け後退さる格好になる。壁とは勿論、ガラスではない側のことだ。つまり、オレは見事にリビングに向いて凍りついたことになる。
オレは驚くと、声が出なくなるタイプのようだとわかった。ガラス風呂しかり、突然サス(*3)を当てられた、台本にはない浴室での「見せ場」しかり。
依嶋がリビングを横切って、ベッドサイドに置いてあったらしき受話器を取り上げる。片手を上げて、多分、「悪い」とか「すまん」とか言っているのではないかという表情をしてみせる。オレも一応、浅くではあるが何度かそれに頷き返して、まだシャンプー(らしきもの)が流し切れていないかもしれないまま、浴室を出て脱衣所に戻った。
ぽたぽたと髪から体から雫が落ちるが、脱衣所も空調が入っているので、寒くはない。タオルはどうすればいいんだっけ。どこに置いたっけ。いや、勝手に使えって言われて――。
「姫ー。悪かった。間違えて灯りを」
「入るなーーーッ」
ここはさすがに叫んでもいいだろう。タオルもまだ手にしていない。もしもドアを開けられたら、きっとまた後退ってしまうだろう。それはつまり、ドアに向いて立ち尽くすことにほかならない。
沈黙が空いて、依嶋が「タオルはキャビネットの中だぞ」と言った。
それきりリビングに戻ったのだろうか(間取りがだだっ広い1LDKなのだ)。オレは気を取り直して言われた通りキャビネットからタオルを取り出し、とりあえず、体中の水滴を拭った。

<The Collarbone 5 へ>

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(*2)白紗にハレ=紗(幕)は舞台に吊るして透ける効果を狙った薄い幕。白と黒がある。ハレはハレーションの略で、明るすぎてはっきり見えないのを効果につかうこと。

(*3)サス=サスペンションライト。舞台の上方にあるライトを吊るすためのバトンをサスバトンといい、そこに吊るされる明かりのことをサスライトと呼ぶ。

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