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The Collarbone 7

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The Collarbone 7

別のプランも一応、頭の中にある。問題は、がらっと立ち位置が変わってくることだ。イアンを見て、依嶋を見る。もう一度イアンを見て、・・・依嶋に向かって歩いていった。
「依嶋」
近づいた俺をちらりと見上げると、依嶋は短く「嘘つき」と言った。的確な苦情だ。これから俺が出す指示{オーダー}がわかっているという顔をしていた。
「悪いな」
それだけ言って、肩を軽く叩き、依嶋から離れた俺は今度は、イアンに向かっていった。

@@@

「依嶋、もっと近づいて。・・・もう少し。Ian, keep your left hand. 依嶋、近づきすぎ」
30分ほど撮ってみては、ふたりの肌のクールダウンで休憩を取る、を繰り返しているうちに、次第にイアンも依嶋も顔に疲労の色が出てきた。依嶋は顔を写さないからまだしも、イアンの顔は売り物にしたい。いや、ヒモつきなんだから、売り物として立つように使わなくてはならないのだ。
「Ian, need a break more?」
険悪というか凶悪というか、目つきの悪さで売ってもいけるな、と思うくらい嫌な目つきでイアンも苛々していることを隠さないようになってきていた。
「No.  But, I have a suggestion.」
メイクの男が差し出したタオルを受け取って首の後ろの汗を拭いながら、俺にではなく、依嶋に向かって言った。
<あんた、下も脱いだらどうだ。いくら写らないからって、上だけちょろっと脱いで撮影したって、ヒメジの望んでいる色気が画に出るわけがない>
さすがの依嶋もムッとしたのがわかった。が、俺は腹を括って、間髪いれずに依嶋にオーダーした。
「依嶋。下、取ってくれ」
<タオルくらいは巻いてもいいよ。素人さんには全部取れってのは酷だろうから。泣き出されちゃ困るしね>
そういうイアンも、ローブは腰まで脱いでいるが、腰から下は一応、ローブを巻いたままである。
「高文、バッグの中に大判のバスタオルが入ってると思うからそれを依嶋に」
「あ、こっち、ローブ持ってきてます。よね? ヒナコさん」
メイクのヒナコさんがすでにローブをスーツケースから取り出して見せてくれる。
<ローブの下を着けなきゃ、羞恥心ってもんが、知らず、色気を出してくれるさ>
イアンの挑発に対して、意外にも依嶋は平静な表情のまま、高文からローブを受け取って控え室へ行き、すぐにローブを身につけて戻ってきた。
脱いだのかなー、あー、きっと後でものすごく文句言われるぞ、と心の中で意味もなく十字を切る。
「I have a suggestion, too. 姫」
依嶋たちから離れようとしていたオレの背中に、依嶋から呼びかけがあった。
<なぜ構図の中に”the earlobe”を入れない?>
“The earlobe” ―― 「耳たぶ」。
それは、作中に出てくる重要な人物であった。
名前は”The earlobe”、つまり「耳たぶ」としか呼ばれない。主人公の偏愛を表わすのがcollarboneすなわち恋人たちの鎖骨であるが、それはくまでセクシュアルな愛情の対象でしかなく、心の裡の愛情を示すためのアイテムとして、その人物の耳たぶの描写と愛撫が描かれる。一方、語り手もまた、自分の嫉妬や嫌悪といったネガティブな感情を吐露するときに、「耳たぶ」を相手にしているかのように語る。すなわち、作中の主人公と、物語の語り手、という次元の異なる登場人物の間に、なぜか両方の次元に存在するThe earlobeを挟んだ三角関係が読み手の前に現れるようになっている物語なのだ。
考えなかったわけではない。しかし、そうなると被写体は3名必要になるし、自分がこれぞと思う「耳タレ」は見つけられなかったのだ。努力不足といわれてしまうかもしれないが、依嶋を見つけたことはまさしく奇跡、と舞い上がってこの撮影に臨んだのだから、被写体が見つかる見つからないも、言わば時の運だと思う。
<面白い。僕もThe earlobeがいないことには違和感を覚えていた>
<ヒメジのearlobeはなかなか美しい形をしているんだ>
依嶋がイアンに言った一言に、心底、俺は心臓が飛び出すかと思った。

@@@

こんなことを言うと依嶋になんと言って怒られるかと思うが、自分が作品のカンバンとして撮影される側になるなんて、ぞっとする、と思った。身勝手な話である。自分は、全く素人(撮られる側としての)を引き込んだくせに、だ。もちろん、想像もしていなかったため、心の準備がなかった、とも言える。
しかし被写体二人に声を揃えて言われ、こちらとしては、実は自分もそうしたかったということもあり、ぐうの音も出ない。
「さて、姫ちゃん、どうするかね」
西田さんまで面白がっているのは、顔を見れば一目瞭然だ。
「頭の中に3人の絵コンテ、あるんだろう?」
あるに決まってる。本当はそうしたかったんだから。
「被写体の頭数が揃えばいいってもんじゃない。時間をください」
動揺しつつも、なんとか声を抑えてスタジオ全体へ向けて言う。いくら西田さんが自分よりもキャリアが上のベテランであろうと、スポンサーという名の財布女が来ていようと、この場を仕切らなくてはならないのはあくまで自分だ。誰の言いなりにもなるもんか、と思う。
スタジオを後にして、外へ出る。空は、今にも雪が降りそうな程どんよりりした雲に覆われていた。
「『オレの頭ん中みてー』」
後ろから聞こえてきたバリトンに驚く。
「わ。びっくりしたな、もう」
「そう思っただろ」
ニヤニヤした依嶋がすぐ後ろにいた。
「休憩中だ」
「だから俺も休憩」
放って置いてくれ、という意思表示のつもりで小さく舌打ちして、煙草を取り出したら、依嶋に取り上げられた。
「返せよ。休憩中なんだからいいだろ。外に出て吸うんだし」
「このあと、おまえと一緒に撮られるんだから、煙草臭いの嫌だ」
「オレは撮られてもいいとは言っていない!」
「他に誰がいるんだよ」
依嶋の勝ち誇ったような眼に、腹が立つし。めまいがするし。それが嵩じてイライラしてくるし。
スタジオの外壁に凭れて、依嶋が腕を組んで言う。
「なあ。撮れるのはおまえだけなんだぞ。カメラも、明かりも、メイクも、モデルすら、おまえの頭ん中にある絵コンテを再現するツールだ。スチルは舞台を一枚に納めた、一瞬の舞台だろう。演出家のおまえが手抜いてどうする」
思わずカッとなって、依嶋のローブの襟を掴んだ。
「誰が手抜くってんだよ」
「自分が撮られるのが嫌だっていうだけで一番いい構図捨てるんなら、それは手抜きだ」
襟を掴んだ手首を依嶋に握られる。
「いてててて」
すごい力で握られて、手首の痛みに耐えかねて、依嶋のローブの襟から手を放した。
「このバカ力」
「手っ取り早く手を放させたかったんだ」
慌ててはだけたローブの前を直し、裾を直す。
「下、履いてないんだからな。誰かさんのせいで」
「・・・フルチンか」
そうだった、と吹き出す笑いを抑えられず、依嶋が恨めしげに睨む横で、笑いが止まらなくなってしまったのだった。
「中、入るぞ。風邪引かれたらたまんねーし」
依嶋のローブの袖を引っ張って、ドアを開けた。

@@@

「あ、ち・・・っ」
耳の産毛を取るのに、これが一番手っ取り早い、と言われて、ヒナコさんがオレの耳をライターの火で炙る。
「もうちょっとだから我慢しなさい」
糸で焼いた直後の産毛を削ぐように取る。その後、依嶋用に持ってきたキンキンに冷やしたタオルで耳を包まれ、丹念に拭き取られる。
「ん。OK。出来上がり。産毛も撮り様によっては色っぽいんだけどね」
少しだけ耳の後ろと首に粉のファンデーションをはたかれる。腰に巻いたバスタオルが落ちると嫌なので、ヒナコさんに大きなクリップを借りたのを止め直し、化粧前(*4)から離れる。
スタジオには、西田さんもすでに準備万端で、カメアシ(*5)の高文に呼ばれた依嶋がゆっくりとやってくる。
「イアンさん、間もなく入られます」
高文が依嶋の背後から言った。
「位置は?」
「依嶋はそこでいい」
「姫は?」
「この辺、かな」
「遠い」
「え。そうか?」
依嶋に言われるままに近づくと、膚をくっつけたわけではないが、依嶋の体温がほんのり空気を伝ってくる気がする。
実はスタジオの暖房は切ってあった。被写体たちはそれでなくとも照明でかなり熱を受ける。ほかの人たちには寒いだろうが、撮られるもののコンディションを一番に考えなくてはならないので我慢してもらう。
「寒いのか、姫」
「いや」
「じゃあ、緊張してるんだ」
「うるさい」
してるもんか、と言いたいところだが、撮られるなんて慣れないことをしているせいで、身体が固くなっているのが自分でもわかる。ましてや、目の前に上半身裸の依嶋がいるっていうのが、妙に艶かしくて。
「照明、結構眩しいんだな」
すでに西田さんがシャッターを切り始めている音が聞こえて、余計に気恥ずかしさが増すていく。まいったな、から、やばいな、に切り替わっていく。どんどん緊張が高まっていくのだ。
「ヒメジ」
急にイアンの声が耳元で聞こえた。
いつの間にきたんだ、と言おうとしたら唇と顎を一緒に捉えられ、耳元にイアンの息が拭き掛けられる。それとほぼ同時に、イアンの唇が耳朶に触れた。
「う、わっ! イアン、何するんだ!」
イアンの手を振り払ったが、一瞬の差で、イアンは自ら手を引っ込めて逃げた。
「緊張が取れただろう」
スタジオ全体の空気が緩む。見回すと、西田さんを始め、カメラスタッフもニヤニヤしているし、壁際に仏頂面でずっと突っ立っていたミズ・ハリエットも口許を緩めて楽しそうにしていた。サングラスを着けたままなので、目元の表情までは見えないが。
イアンも、悪戯をしかけたからか、僅かに素の表情で子どもっぽさが窺われる。
「Thank you, Ian。じゃあ、イアンと依嶋から行こう」
素直に礼を大声で言って、自分の位置から動く。
「姫さん、これ」
高文がデジカメの画面を見せる。さっき、依嶋とふたり、位置を取っていたときの写真だ。
「さんきゅ」
とは言ったものの、少し――かなり照れる。横から覗き込んだ依嶋のニヤついた視線がまた、腹が立つ。今日一日中、この表情{かお}にイラついても仕方ないので、深呼吸して肚に力を入れる。「腹を括る」というのはこれか、と、思った。

<The Collarbone 8 へ>

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(*4)化粧前=メイク場所のこと。鏡前。
(*5)カメアシ=カメラアシスタント。

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