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We’ll be Together

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We’ll be Together

 

「うちに救急箱ってあったっけ?」
相変わらずも唐突に、姫路が尋いてくる。駅前あたりにでもいるのか、どうやら電話の背後が商店街の喧騒のようだ。
「怪我でもしたのか?」
「いや。まだしてない」
「『まだ』?」
「あー・・・と。なんでもない。無さそうだな」
身勝手で一方的な電話が切れる。救急箱ならあるけど、と思いながら、蓮は短いメールを打った。
<救急箱あり。詳細を説明しろ>
返事がないまま、30分ほどして本人が帰ってきた。
「メール送ったんだけど、見たのか」
「見た。さんきゅ」
ほら、と救急箱を渡すと、姫路は早速、中からアルコール綿球とピンセットを取り出す。
「こら。説明は?」
「依嶋、ピアスを空けたことあるか?」
やれやれ、やっぱり唐突な、と呆れる。
「あるわけないだろう。男なんだぞ」
「ピアスはもともと男の装身具だぞ。RPGでも装着するアイテムにあるだろう」
「RPGしない」
姫路が不満げな視線を寄越したが、それは批判の視線ではなく、別のことを考えているような目線だ。
「依嶋、穿けてみない?」
「みない」
寸分の隙も与えずくだらない提案を却下した。
「姫。きちんと説明しろ」
アル綿とピンセットを取り上げ、説明を要求する。
「ええっと、だな」
芝居の簡単な内容に始まり、とある場面の説明が施され、演出の自分と役者との間で、「ピアスホールを穿ける」ということの重さというか軽さというか、が異なるようで、うまくその場が作れないのだそうな。
「それで穿けるっていうのか」
「むかーし、穿けてみたことはあるんだけど、もうすっかり忘れちまってさ」
「穿けたことがある?」
ほら、と左側の耳たぶを示された。が、よく分からない。これまでも散々、姫路の耳たぶは至近距離で見ていたつもりだが、全然気づかなかったのだから、今見ても痕なんてわかるほど残っていないことには自信がある。
「姫。絶対に穿けなくちゃならないのか」
「そういうわけじゃないけど」
穿けたほうが、うまく説明できる気がする、と安易に言う。
「姫、いいか、穴が空くんだぞ。針が突き刺さるんだぞ」
「そりゃ、突き刺さなきゃ、穿かないだろ」
「なんでわざわざそんな侵襲的なことを自分の体にしなくちゃいけないんだ。自傷行為だぞ」
「そこまで言うか?」
姫路がそろそろ嫌な顔をし始めた。蓮の拒み方に面倒くささを感じ出した証拠だ。
「わかった。依嶋に耳に穴穿けろとは言わないし、オレの耳に穿けてくれ、とも言わないから」
それを聞いて、蓮は初めて、姫路が蓮の耳にピアスを穿けようと考えてたこと、それがだめなら、蓮に姫路の耳にピアスの穴を穿けさせようと考えていたことを悟った。
「自分で穿けるのか」
「他人に穿けられるシーンだからなあ。穿けさせてくれる誰かがいなけりゃ、せめて誰かに穿けてもらうのが・・・」
そう言いながら携帯でメールを打つ。相手はたぶん、太市だろう。
案の定、すぐに折り返しで電話がかかってきた。
「ということで、ちょっと今から太市が来るから」
太市との電話を終えて、姫路が軽く言った。
「・・・食事は3人分ってことだな」
「え。食事なんて食わさなくってもいいだろ。すぐに帰すのに」
「わざわざおまえのピアスの穴穿けるためだけに呼びつけて、こっちは食事の支度をしているにおいが部屋に十分充満していて、それで、用が済んだら、ハイ帰れ、ってやるのか」
なんて薄情な、と付け加えたいのが姫路にはわかったらしい。
済まなさそうに、「では、3人分お願いします」と姫路が小さな声で言った。

@@@

「位置はどのあたりですか」
「適当でいいって」
「適当って、なんですか、それ。ねえ、依嶋さん?」
太市が悪いわけではないが、どうにも無愛想になってしまう。
「『体に穴を空けるなんて、どういう神経してんだ』って意見らしいよ、依嶋は」
姫路の解説で、無愛想にも納得したらしい。
「いまどき、珍しい。依嶋さんなら似合いそうなのに」
「冗談」
「片耳だけ穿けるんですか。ピアッサー2発あるんだから、両方開けたらどうですか?」
「痛そうだから片方でいい」
太市が笑いながらアルコール綿の準備をする。
「思うほど痛くないと思いますよ」
太市が自分の耳を示して言う。右に4つ、左に2つ。
「そのアンバランスはなんなんだ?」
「特に意味はありませんけど」
太市の屈託のなさに、姫路が思いつきをしたのが蓮にはその表情から見てとれた。
「太市、左にもうひとつ穿けてやるよ」
姫路が今にも飛び掛らんばかりにピアッサーを手にして嬉々として言うのへ、太市は姫路のピアッサーを持つ手を押しとどめて、固辞する。
「先輩。オレは穿けるのには厳格な規定を自分で敷いてい、る、ん、で、すっ!」
手首を握っている太市のほうが分はいいに決まっている。あっさり力で押しやられてピアッサーを太市に取り上げられ、姫路は仕方なく片耳を差し出す姿勢になった。
「右でいいんですか?」
「左はまずいだろ」
その会話を聞いていてクエスチョンマークが浮かんだので、つい、蓮が会話に加わってしまう。
「なんで左はだめなんだ」
姫路と太市が一斉にこちらを見て、「知らないんだ?」と言った。
「左の片耳ピアスはゲイ、っていう人もいますからね」
太市が説明した科白に、内心幾らかの反応を感じた蓮が太市に悟られないように姫路を見たが、姫路はと言えば、知らん顔なのか、何も感じていないのか、といった体{てい}だ。
気にはなるので、離れたところから遠巻きに眺めてはいたが、「不賛成」の表情は崩ずにいると、姫路と太市はあれこれと芝居の話を始めた。太市が何やら姫路に耳打ちする。面白くない構図だ、と思えば思うほど、蓮はその場を離れられない。
「依嶋さん、水性のマーカーってありますか」
ピアスの位置決めの印をつけるためだと言って、マーカーを受け取った太市が、姫路が引っ張っている右の耳を、ちょんとつついた。
「どうかしました?」
視線に気づいた太市が尋ねてくる。
「あ。いや。姫は髪が短いんだから、わざわざそんな髪をかき上げなくても」
太市も姫路も、最初は何を言っているのかわからないという風だったが、やがて太市は苦笑気味の笑みを見せて、「そうかも」と言った。
「えっと。氷ってあります?」
太市が要求する。
「氷? あ。冷やすのか」
麻酔代わりに、穴を穿蹴る前の耳たぶに当てるのだろう。
冷蔵庫の製氷ポケットから取り出して、太市の前に置いてやった。
「じゃ、穿けますよ」
太市がピアッサーで姫路の耳を挟む。姫路が片目をきゅっと瞑り、こちらの耳がきり、と痛む気がした。
パン、と軽い小さな音がして、それで終了。
「っつ」
小さく呻いた姫路が自分の右耳を触って、ピアスが確かに嵌っていることを確認する。
「おー。こんなもんか」
「もう一発、いっておきます?」
あっけなく穿いたことで、うん、と姫路が頷きそうに思え、蓮は慌てて、太市に声をかけた。
「太市、夕食、食べていくだろう。簡単なものだけど」
「この匂い、もしかして牡蠣ですか」
「牡蠣味噌チャウダーに生ほうれん草とベーコンのサラダ、じゃがいもパンケーキ」
姫路が献立を並べ立てる。
「あー。ごめんなさい。オレ、牡蠣だめなんです。腹壊しちゃう」
「そうなのか。じゃあ、何かほかのもの」
「いえ。ありがたいけど遠慮しときます」
明るい表情で、蓮の妙な遠慮の賜物ではないことが知れる。
「デート?」
笑って尋ねた蓮に、まあ、そんなとこです、と告げながら、でもここのごはんはいつも美味しいんだよな、と笑いながら、テーブルの上のチーズを一切れつまみ食いした。
「これ、ウマイ!」
「市販のスライスチーズをたまねぎで燻したんだ」
「家で?」
「姫が簡単な燻製が作れるキットなんてのを買ってきたもんだから」
ダンボールで組み立てる簡易燻製マシーンで、キャンプやバーベキューで使えばいいんだろうが、生憎とふたりともアウトドアライフは趣味ではない
「なんで買ったんですか」
と呆れ気味の太市に、姫路は「面白そうだったから」と、常のごとく気楽な発言をする。
「姫は割りといろんなものをやってみたい人だから」
蓮が苦笑すると、太市が、「えっ、これ、先輩が作ったチーズなんですか。依嶋さんじゃなくて?」と驚いた。
「燻しただけな。なんなら、太一、持って帰って自分でやってみな」
と姫路が言うのに対し、蓮と太市は顔を見合わせて、姫路が燻製マシーンにすでに飽きたんだと、理解して笑った。

@@@

組み立ててしまった燻製マシーンは崩せないので、近いうちに車で取りに来ます、と太市が約束して帰り、チャウダーを温めなおし始めると、姫路が蓮の後ろにやってきて、べたべたとまとわりつく。
「なに」
「べつに」
そう言いながら、ウエストに腕を巻きつけ、背中にぴったりと体を密着させてくる。
「何が言いたい?」
「それはこっちの科白」
ちら、と首を後ろに捻り、姫路の顔を見た。
「依嶋、何を怒ってる?」
耳にキスをされ、確信を持っているぞ、といわんばかりの姫路の顔にまた腹が立ち、無視をすると、今度は髪を指で梳きながらキスをしてくる。
「姫。調理中」
カチャ、と音がして、姫路の手でクッキングヒーターのスイッチが切られた。
「怒りながらメシ作ったらまずくなるぞ」
「誰のせいだ」
「オレのせい?」
キスが頬まで降りてきて、蓮は諦めた。姫路は飽きっぽいけど粘り強さも持っている。
「そう。姫のせい」
蓮は姫路の頭を押しやって、キスを遠ざける。そのとき、姫路の右耳のピアスに蓮の指がひっかかった。
「つ・・・」
大丈夫か、と即座に蓮の手を確認する姫路が過保護で可笑しくて、笑ってしまった。
「姫。ピアス、邪魔」
「結局、それか」
姫路が笑って蓮の頭を抱き締める。
「な」
髪にキスをしながら姫路が蓮に問うた。
「なんで、たかがピアスにそんなにアレルギー反応示すの?」
「だって、なんの必要性もないのにどうしてわざわざ穴を穿けなくちゃならないのさ」
蓮は姫路の腕からするりと抜け出して、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、姫路に渡した。自分用には乳酸飲料を取り出し、それも姫路に渡す。とりあえず両の手が塞がった姫路の手から逃げ出した蓮は、再びクッキングヒーターのスイッチを入れて、チャウダーを温めるのを再開した。
「だって、オレには必要だもの。穴を穿けたいがために穿けたわけじゃない。穴を穿けるシチュエーションを体験する必要があったからだ。わかるだろ?」
理詰めで来られて、蓮もついに黙る。
しばらく黙々とチャウダーを混ぜ温め、ようやくヒーターのスイッチを切るとともに、沈黙を解いた。
「わかってる」
ダイニングテーブルではなく、ソファのほうにあるローテーブルに料理を運び、ぽつりと蓮がそう答えた。
「じゃあ、なんでまだ怒ってるのか言えよ」
後をついてきてソファに腰かけた姫路が追及する。が、なまなかなことでは口を割らないつもりらしく、蓮は口を固く引き結んだまま、サラダを小皿に取り分けている。
「蓮」
ぺったりと隣に座った姫路が蓮の首に腕を絡める。
「姫。見えない」
手元が見えず、作業の手を止められた蓮が文句を唱えると、姫路が耳のすぐそばでこそっと言った。
「オレの何に腹が立ったんだ? 言わなきゃこのまま押し倒すぞ」
「怒らせておいて偉そうな態度に出るのはおまえくらいだ」
静かにサラダのサーバーをボウルに置いて、蓮は呆れた。
「別に、怒ったってわけじゃないし」
首に巻きついた姫路の腕に指を掛け、マフラーに顔を埋めるがごとく口許を埋めて、蓮がもごもごと言葉を濁す。
チャウダーが冷めるし、パンケーキも固くなるし、とブツブツ続けるのへ、姫路がぽんぽん、とまきつけた手で蓮の背中をあやした。
「なんか矛盾したこと言ってるぞ、おまえ。温め直しはオレがするから、ほれ、言ってみろって。」
「・・・・・・くない」
「え?」
「太市と仲良いし。息が合ってるし。・・・じゃれ合うし。おもしろくない」
「蓮?」
酒でも飲んだか、と笑おうとしたが、名前を呼んだだけで蓮の背中が緊張する感触に、愛おしさが増して軽口が叩けなくなった。
「めずらしいな。焼もちか」
「うるさい」
そっぽを向くと、蓮の襟足のしっぽがこちらを向く。姫がゴムで縛っているその根元に唇を寄せた。少し緊張が解けた蓮の体を、そのまま抱き寄せて、背後から抱く。姫路自身もソファの背に体を預けた。
「な。ピアス、穿けてみない? 痛くしないから」
「『痛くないから』だろ」
まあね、と姫路が笑いながら、蓮の首元に鼻先を埋める。
「あのさ」
「うん?」
「ほんとは、こんな簡単に耳に穴が穿けられない時代の話なんだ」
明治半ばの話でさ、鹿鳴館の頃だ。政治家の外遊についていった通詞が、外国で愛人にピアスを買ってくるんだ。
―― ピアス? 明治の時代に?
そう。当時、クリップ式のイヤリングはなかったからな。耳に飾りをつけようと思ったら、穴を穿けるしかないんだ。でも、愛人の耳にはピアスのための穴がまだ穿いていない。
―― それで、穿けるのか?
まあね。結局穿けることになるんだけど、
『私の耳にはピアスホウルはありません。奥様と勘違いしてらっしゃるのではないの』って愛人が、はじめ、怒るわけ。
―― 通詞、馬鹿だな。
まあ、そう言うなよ。通詞には通詞の事情があって、外遊のお土産のうち、ブローチとピアスがあるのを見てしまった正妻が、女の勘でピンときて、ブローチを気に入ったふりをしてとっちゃったんだ。でも通詞は、まあ、ピアスを愛人ちゃんにやればいいや、って軽く思って、それで、ピアスの穴がない愛人ちゃん用にはピアスしか土産がない、って状態だったんだ。
―― それで通詞は、愛人ちゃんのところへのこのこピアスを持って行ったってわけか。
そう。通事は簡単に「穴をあければいいや」って考えたんだ。
ところが、当時はこんなピアッサーは当然ないからさ、太い針で空けるわけだ。
―― 太いって? どのくらい?
畳針とかかな。
ぎょっとしたらしい蓮が姫路を振り返った。その隙にもう一度、唇を盗む。
「・・・姫」
「ん?」
「調子に乗ってるだろう」
「そうかな」
ぎゅうと腕に力を込めながらとぼけ、心の裡では、むくれた顔ごと抱き締めているとわからせてやるにはどうすればいいだろう、と姫路はこういうときの蓮が愛おしくてたまらなくなる。
「姫と芝居の話をじっくりするなんて、『Collarbone』のとき以来か」
「そうかな」
肩口に預けられた姫路の顔の重みを心地よく感じながら、蓮は姫路の前髪に手を伸ばす。
「そうでもないか。姫はいつも芝居の話をしてる」
「仕事だからな」
「太市も」
「ん?」
「太市もいつも芝居の話ばかりしてる」
「依嶋」
蓮の口を姫路が指で押さえた。
「しーごーと。だろ?」
なんとなく、蓮が何を言いたいかが蓮の軆温から伝わってくる気がする。だから姫路は、特に余計なことは言わずにただ、蓮を抱いている腕に少しばかり力を込める。
「そうだな。俺、なんかヘンかも。子どもみたいだ。太市が悪いわけじゃないのに」
髪をかき上げる指を姫路に絡め取られる。
「焼もち上等」
ソファに蓮を横にすると、姫路はとびきりゆっくりとキスをした。
「手玉に取られている気がする」
「オレに?」
「そう。姫に」
「反撃してみれば?」
「でも悪い気はしないから、まあ、いい」
姫路の頭を抱きこんで、蓮が喉の奥でくすぐったそうに笑う。少し掠れた声で蓮に名前を呼ばれると、姫路が蓮のシャツを脱がしにかかった。

@@@

そばに置いてあったブランケットを取って蓮の上にかけてやり、自分は手近に落ちていた蓮のシャツを羽織って、姫路はソファから床に滑り降りるように腰を落とした。
「大の男が二人、ソファってのはキツいな」と蓮が言えば、
「デカいソファ、買うか」と姫路は口が減らない。
ソファに横になっている蓮の顔の前に、床に座っている姫路の頭がある。その後頭部に蓮が口をつけて遊んでいるうちはともかく、手で髪の毛を弄び始めると姫路もくるりと向きを変えて、蓮のほうを向き、まずは悪戯をしかけてきている指からキスを始める。
「ピアス、穿けさせてやってもいいよ」
「宗旨変えしたのか?」
「だって、誰かの耳、穿けてみたいんだろう」
「蓮の耳には穿けない。おまえの嫌がることはしない」
姫の耳に穿けるのも気に入らなかったのに穿けたじゃないか、と蓮が笑うと、傷口が塞がったら、外してすぐ閉じてやるよ、と姫路が答えた。
「太市が穴を穿けようとしていたとき、姫がわざわざ髪をかきあげて耳を見せていただろう」
「うん?」
「色っぽかった。耳に穴が開いたときも。カチってピアッサーの音がして、それより少し前から片目だけ瞑って、痛そうなのを堪える顔して。あんな表情{かお}されたら、俺なら堪らない」
「どう堪らないっての?」
「とりあえずキスしたくなる」
姫路が、笑って蓮の頭を引き寄せた。
「ないない。太市はありえねーって。それ」
鼻梁に唇がつけられるのを甘んじて受けてから、蓮は瞼を手で覆った。
「ありえないのは、わかってる。わかってるはずなのに、つまらないことで嫉妬する。太市が姫の耳を引っ張ってたのなんて、手、はたきそうになった。太市だけじゃない。田代先輩や、西田さんや、おまえと一緒に仕事してるみんなも。NYでは、イアンにだって嫉妬してた。あいつがまた、『ヒメジのことは良く理解できてる』っていう偉そうな顔でいるし」
額に手を当てたまま横を向いて話す蓮の顔を、姫路は黙って見つめる。その姫路の視線を感じて、ちらりと視線を寄越した蓮が、気恥ずかしくなったのか、俺ってものすごくつまんない人間だな、と自分を嗤った。
「何か言いたいなら言えば」と蓮が言うのへ、「気分いいから、もっと言ってもいいぞ」と、蓮の喉に手を置いてなぞりながら姫路が言う。
蓮が苦笑してため息をつきながら体を起こそうとすると、姫路が押しとどめる。ゆっくりと姫路が顔を近づけていくと、今度は逆に蓮が姫路の胸を押し返した。
「ソファは狭いからもうイヤだ」
「キス以上のこと、しなければ問題無し」
それで終わらなければ場所移動、と言いながら、ソファに浅く腰掛けて、蓮の腹の上に半身を置く形で姫路が蓮に体重をかける。
「オレだって、結構焼もち焼いてるんだぞ。依嶋が太市と仲良く喋ってたり、事務所の女の子に親切にしてやってたり、取引先の人たちと飲みに行ったり。それこそ、クロークの橘さんにまで妬いたこともあったな」
「・・・初耳」
蓮が見上げる。
「オレの知らない依嶋を知ってるってだけで、オレからすりゃ、嫉妬される理由充分だ」
だけどな、と続く。
「オレが、名前を呼んだときのおまえの顔は、誰ひとり知らない顔だろうなと思うことで、とりあえず自分の中でなんとか折り合いをつけてる」
蓮の胸の上に上半身を倒れこませた姫は、そう言って、少しだけ不規則に早くなった蓮の呼吸を落ち着くまで暫く数えながら聴いていた。
「・・・依嶋はピアスなんて穿けなくていいよ。そもそも、穿けるも穿けないも、オレも役者も想像してやればいいだけなんだし。なんでも体験しなくちゃ演出がうまくできないなんて演出家、役に立たない。第一、おそろいのピアスなんてしたら、周りはオレたちの間をヘンに勘ぐるかもしれない」
そんな単純な話にはならないだろう、と蓮が笑うと、そんな単純な話なんだ、と姫路が固い声で返した。「みんな他人のことには恐ろしく無責任だからな」と。
「オレが、依嶋を好きでいるだけならそれだけでのことで完結して、それはそれで良かった。依嶋がオレを受け入れてくれても、それはオレたちふたりの問題だから、それもそれでいい。オレたちが男同士であろうが。こうして ―― 」
僅かに姫路が言い淀むと、姫路の髪を弄りながら蓮が代わりに続けた。
「こうして、男同士でヤっちゃっても」
あけすけな言い方も、依嶋が言うと、なんでもないことのように思えるから不思議だ、と姫路が苦笑する。
「それも、オレたちがそれでいいんだから、いいんだ」
「俺から逃げるのにNYまで行っちゃったやつとは思えない」
柔らかく笑う蓮の肩にキスをして、姫路は、蓮の体から離れて起き上がって、ソファのコーナーに座った。
「そうだな。あのときは、どちらかというと、依嶋から逃げ出せばそれで済んだ。おまえに嫌われてしまうこと、おまえとの関係が壊れてしまうことが一番怖いことだったから。でも、おまえを手に入れた後は、今度は世界全体が相手になったってわけ」
「世間の目ってやつか」
うーん、と少し考えて姫路はもっとも自分の考えに近い言葉を選ぼうとする。
「単純に、『世間の目が』っていうのとも違う気がするな。いや、単純に言えば、結局そういうことになるのか」
頭を抱え込まんばかりになって考える姫路を見ながら、蓮が姫路の左手の指を取り上げ、遊び始める。姫路はするがままにさせてやりながら、自分は思いつくまま言葉を並べていく。
「ふたり一緒に世間からはじき出されても構わないっちゃ構わないけど、おまえが世間からはじき出されることには我慢がならない・・・気がする、かな」
今ひとつ、巧く言えないけど、と姫路が、指を組み挿し入れてきた蓮の手をきゅっと握った。少し自信がなさげなときの姫路の表情を見つけた蓮は、少しだけ目で笑いかけただけで指を弄ぶのを続ける。続きを話せ、という合図で。
「蓮さえいてくれればほかに何も要らない、って思うのは、真実{ほんとう}でもあり、嘘でもあり、だし」
「いくら姫と一緒でも、無人島生活はしたくないな」
不意に名前を呼ばれて、姫路の指を弄る手を止め、蓮は起き上がって毛布の中で胡坐を組んだ。
「―― 仕方ない。姫が男だっていうことも、俺が男だっていうことも曲げようのない事実なんだから。生物学上の種の保存の必然に当て嵌まらない行動をする個体は、地球上にいくらでもいる」
姫路が面白そうに聞く。
「法律と、宗教と、人の感情さえスルーできれば、大したことないんじゃないの」
「オレは、蓮が、楽しく笑ってなきゃ、だめなんだ」
僅かに眉を上げて、蓮が指を解いた。
「朝、食べた食事の内容や、自分の預金残高、家庭の事情、俺たちは常にすべてをさらけ出して生きていかなきゃならないわけじゃない。自分が誰と寝たかまで言わない、ただそれだけのことだ」
「こいつはオレのもんだ、ってレッテルが貼れず、じりじりと焼もち焼き続けても?」
「そう。焼もち焼いて、それは後で相手にぶつければいいだけ」
「後で?」
「そう。後で。直接」
蓮が姫路の胸を指差す。目を見交わして笑い、どちらからともなく、唇を近づけた。
「シャツ、返せよ。肌寒くなってきた」
「風呂、入れてこよう。入れよ。風邪引いちまう」
蓮にシャツを投げて、自分は自分のシャツを拾いながら姫路がバスルームへ行く。
バスルームから湯が流れる音を聞いて、蓮がふと思いついて、そばに置いてあった未使用のピアッサーを手に取りながら。立ち上がった。

@@@

パウダールームの鏡の前で蓮が自分の左耳を引っ張っていると、浴室から姫路が出てきた。
「依嶋。・・・あっ」
手にしたピアッサーを姫路がもぎり取る。
「するなっての」
「外してれば、どうせすぐ塞がるんだろう」
「オレが穿けたくないの」
「いいよ。じゃあ、自分で穿けるから」
「それ、なんの意味もねーし」
ピアッサーを取り取られを繰り返しているうちに、姫路のバスタオルに蓮が手を伸ばした。
「あっ。このやろ」
一瞬、タオルに神経が向いた姫路の手から、ついでにピアッサーも引き抜いた蓮だが、姫路のほうは、タオルを押さえながらも蓮の左手めがけて飛びついた。それが勢い余って、とっさに姫路が庇ったものの、蓮はパウダールームの壁に肩をぶつけながら床に落ちて倒れ込んだ。
「依嶋。だいじょうぶか?」
「だいじょうぶじゃない。バカ姫。そこまで必死になることか」
いたた、と口の中を舌先で探る蓮を、姫路が覗き込んだ。
「口の中か」
「そう。噛んだ」
どれ、と姫路が覗き込むとしたが、口を閉じて蓮は横を向いてしまう。
「おい。依嶋?」
こっちを向け、と頬に手をかけたところを、蓮が姫路の手放したピアッサーを掴んで立ち上がる。
「もらい」
「あ。こら」
浴室にすたすたと歩いていく蓮の後を姫路が追いかけた。
「姫、一緒に入る気か」
蓮ににやりとされて、姫路が怯む。
「そっちこそ。・・・毛布つけたまま風呂に入る気か?」
蓮が目を眇めて姫路を睨む。
「いいよ」
腰に巻いた毛布に手をかけたかと思うと、毛布を剥いで姫路に投げつけた。
「脱げばいいんだろ」
その代わり、と姫路の腰のタオルもついでに引っ張る。
「依嶋!」
見事、姫路のタオルを手に取った蓮が、突然笑い出す。
「なに? どうした?」
「思い出した。最初にここの風呂に入ったときの、おまえの悲鳴・・・」
今でこそ曇りガラス仕様のフィルムを貼って、透け防止を施してあるが、最初にこの部屋で風呂を使わせてもらったとき、確かに、この風呂は透明なガラス張りの浴室だった。それを知っていたからこそ、部屋の灯りを消して暗がりで風呂に入ったのに、蓮が間違えて灯りのスイッチを入れたのだ。
「あのときの姫の叫びったら・・・」
まるで襲われでもしたかのような、と蓮が止まらない笑いを堪えようともせず、果ては涙まで浮かべて笑いながら浴室の床に座り込んだ。
笑い続ける蓮にあきれ果てながらも、結局つられて一緒に笑い出す姫路が、シャワーヘッドを手にして、カランを捻った。
「わ」
蓮の顔に湯をかける。
「姫。卑怯だ」
「なんとでも」
蓮はバスタブに溜まった湯を手で汲みかけて反撃する。
「あ。コンタクトしてるんだぞ」
「家に帰ったらとっとと外さないからそうなる。メガネにしろって言ってるだろう」
「そういう問題じゃ、なく、て」
もみ合っているうちに、姫路が握っていたシャワーヘッドが、湯の張られたバスタブに落ちた。
「・・・ピアッサーは?」
我に返った姫路が言う。
浴室の入り口に蓮が着けていた毛布と一緒に落ちていた。
「濡れたかな」
「いや。密閉包装されているから大丈夫だろう」
床にぺしゃんと座り込んだふたりの尻の下を、温かい湯がひたひたと流れていく。
「なんで、そんなにピアスをするって言い張るんだ?」
「俺の耳に穴を穿けてたら、姫は演出の間、俺のことを考える。それってすごく気分がいいんじゃないかな、って思って」
姫路が笑った。
「もー。舞台ほっぽって帰ってきちまうかも。・・・いいよ。風呂の後で穿けてやるよ。とりあえず、温まって出て来い」
姫路が膝立ちになって、蓮の濡れた髪にキスをして立ち上がろうとした。その腕を引き止めて、蓮がキスを仕掛けてくる。
「一緒に入ればいいだろう。姫だって冷えてるだろうに」
「知らないぞ?」
姫路が言うと、風呂だけだ、と蓮が涼しい顔をしてかわした。

@@@

「耳、濡らしても良かったのか」
穴を穿けた直後のくせに頭を洗っている姫路を、蓮が気にかける。
「依嶋は、風呂の後に穿けてやるから、明日まで濡らすなよ」
過保護なヤツ、と蓮がバスタブの中から呟く。
「うるさい」
洗ったばかりのびしょ濡れの頭を突き出して、姫路がバスタブの横に座り込んだ。
「出て来いよ。頭洗ってやる」
「自分で洗うからいい」
ふーん、と言ったまま、姫路はバスタブの縁に手をかけてその上に顎を置き、そのままバスタブ横にのんびり居座る。
「何してるんだ」
「湯船が空くのを待ってる」
鼻歌でも歌いそうな機嫌の良さで、バスタブの縁に乗る姫路の鼻をつまんで、蓮が「どこまで我慢できるかな」と言うと、片目を開けた姫路がその手をひねりあげて蓮の頭を湯に沈めた。
「それは、こっちの科白」
もちろん、姫路は大して力は込めていないが、不意打ちを食らった蓮は、一旦は易々と頭を湯に沈められ、今度は代わりに浮き上がった足首を姫路に掴まれた。
さほど深くはないバスタブで、頭はすぐに浮かび上がるものの、片足首を掴まれたままの蓮は身動きが取れなくなってしまった。
「風呂、いつまでも入れないぞ」
「シャワーで十分」
姫路が蓮の足首から指先へ手を滑らせる。第一指をつまむと、蓮がそっぽを向いた。するりと足指の間に自分の手の指を滑り込ませて、姫路が蓮の足指で遊びだす。足指の先を包みながら、別の指は足指の間に入り込んでは時折力を入れて足指全体を握ろうとすると、蓮の足にくっと力が入って強張り、まるで攣ってしまったのではないかと思うほどになる。
「・・・降参!」
あっさりと蓮が白旗を揚げた。
「蓮?」
「足。放せよ」
見れば、湯に口許が漬かりそうになっている。
「俺、だめなの。足。放せよ」
頼むから、とでも言いたげな珍しい表情に、姫路がにやりと笑って、再び、足指の間に自分の手の指を滑り込ませた。
蓮が、ぎゅっと目を瞑って口まで湯に沈んだのを見て、姫路がゆっくりと足を湯の中に戻した。
「ま。勘弁してやるか」
蓮が、水面すれすれで目を開けた。
「あったまったら出て来い。ピアス、穿けるから」
茹だるなよ、と付け加えて、姫路が浴室から出て行った。後に残された蓮が長くため息をついて、湯から上がり、シャワーヘッドを手に取った。

@@@

「さっき、左耳にピアッサー当ててたけど、右にするだろ?」
鏡の前で蓮の右耳たぶをつまんで姫路が、鏡の中の蓮に尋ねる。
「ああ。さっきは自分でしようとしてたから。右のほうがいいんだっけ?」
「左でもいいけど、あらぬ誤解を受けるかも」
「ああ。ゲイが左ってやつね。・・・『あらぬ誤解』、ね」
蓮が姫路の言葉を繰り返して、自分で吹き出す。
「いーんだよ。『あらぬ誤解』で。それに右耳のほうが」
姫路も笑いながら、ピアッサーの包装を剥がした。
「右耳のほうが、何」
「いや。左にするより、その、『あらぬ誤解』もなくていいってこと」
ふうん、と蓮がなにやら勘ぐる目つきで鏡の中から問うていたが、姫路は無視することにした。
「え、と。このあたり、かな」
「待て。印は?」
先ほど、太市が姫路の耳にマーカーで印をつけていたことを蓮が言う。
「・・・要る?」
「要る。いい加減な位置に穿けるのは嫌だ」
ちっちゃい穴一個だけどなあ、と言いながらもマーカーをリビングから持ってきた姫路は、シャープペンシルも一緒に持ってきた。蓮の右耳に芯を出さないままのシャープペンシルの先を当ててみせて、小刻みに位置を尋ねていく。
「よし。じゃあ、リビングへ移動しよ。痛みで失神したらそのまま寝かせられるし」
「えっ」
「うそだよ。見てただろ、さっきオレが穿けたの? そんなに痛くないって」
キャビネットからバスローブを出して蓮に渡すと、姫路は、自分はパジャマ代わりのアンダーウェアだけを着けた上にバスタオルを羽織っただけで、ピアッサーを弄びながらリビングへ蓮を招いた。
蓮はキャビネットからもう一枚、姫路の分のバスローブを出してから、ゆっくりと姫路を追ってリビングへと戻った。
ソファのコーナーに座っている姫路の肩にバスローブをかける。
「お。さんきゅ。洗濯物増えるから良かったのに」
「風邪引いて医者行くのとどっちがいい」
「だな。さんきゅ」
姫路が素直にバスローブに袖を通した。ただし前ははだけたままのだらしない着方であるが。
「ほら。耳、出して」
「姫の耳、見せて」
「え?」
「どんなふうになるのか、じっくり見てないんだ。ほら、右耳」
蓮が姫路の耳に手を伸ばそうとすると、姫路がその手を払いのけた。
「姫?」
「別に、ただ、耳にピアスが突き刺さってるだけだから」
払いのけられたことに蓮が訝しげに眉根を寄せたので、姫路は慌てて、言葉を繋ぐ。
「だいじょうぶ。痛くないし、怖くないし」
「誰も怖がってなんかない。とりあえず、どういう状態になるのか見せろって」
「後で、自分のを鏡で見ればいいだろ?」
「なんだよ。見られたら困りでもするのか」
腕を掴まれて耳に手を伸ばされた姫路が、肩を竦めて手元のバスタオルをひっかぶってまで耳を防御する様に、ますます蓮は怪しむ。
「いいから、ほら。さっさと右耳。暴れると痛くなるぞ」
「またウソを言う」
「ほんとだって。きちんと耳たぶに垂直に穿かなかったり、きれいに最後の皮まで突き通さなかったら感染を起こして化膿したり、穿けなおしたりするんだから」
「穿けなおしするくらいならもうしない」
「だろ?」
だから素直に耳を出しなさい、と蓮の肩を引き寄せて右耳の耳たぶをつまんだ。
ピアッサーの溝に耳たぶを入れて、ピアスの先がマークした位置にうまく当たるかどうか、カチカチとピアッサーを試しにスライドさせてみる。
「姫。それ、くすぐったい。早くしろって」
器械をスライドさせるたびに、ピアスの針先が耳たぶに当たるので、蓮が文句を言った。
「ふーん。じゃあ、そろそろ穿けるか」
言った瞬間に、ピアッサーのシリンダが押し込まれた。
「姫っ!」
思わず叫んでしまったのか、その後はぎゅうっと目を瞑ったまま、頬を押さえた手をおそるおそる右耳まで持っていき、蓮が自分の耳たぶの状況を確認する。
「な。大して痛くないだろ?」
他人事だからか、けろっと聞こえる姫路の科白に、ややムッとした蓮が、睨みながら言った。
「卑怯者」
「もうおまえには、言われ慣れてる。一応、化膿止めと痛み止め。風邪のときにもらった薬だけど、大丈夫だろ」
蓮の恨み言にも動じないで、錠剤をシートから押し出して左手で蓮に差し出した。
「依嶋?」
薬を受け取らないで右耳を押さえている蓮に、姫路がちょっと心配そうになる。
「ごめん。痛いのがイヤそうだったから、不意打ちしたほうがむしろ怖くなくていいかと思ったんだ。痛かったか?」
ごめん、ともう一度繰り返して、姫路が薬を持っていないほうの右の手で蓮の耳を見ようとする。と、蓮にとっては、姫路の首を引き寄せるいい好機となった。
「俺、いいこと気がついた」
耳許でトーンを落として蓮が話す声に、姫路がどきっとする。たぶん、何か良からぬことを考え付いたときの声だ。
「・・・なにに?」
それより薬を、と姫路が指でつまんで蓮の口許へ錠剤を持っていくと、意外に素直に蓮が口を開けた。錠剤を口の中へ押し込んでもらい、「水を」と言いかける姫路の言葉を無視してごくりと無理やり飲み込み、首を両手でさらに抱き寄せると、ピアスごと姫路の右耳たぶを口に含んだ。
姫路の肩にぐっと力が入って緊張する。
「さっきのはこういうわけだな」
耳を触らせないようやたらと逃げ腰だったことを指して、蓮が、耳に障るか触らないかのところで囁く。
「今まで黙ってたなんて、ずるいぞ」
「・・・誰が自分から弱点言うもんか」
姫路が片目を瞑って、耳に加えられる攻撃に耐えながら、かろうじて反論する。
「弱点なんだ」
嬉しそうに蓮が笑った。
「その顔」
「え?」
「さっき、太市に穴を穿けられてたときの表情{かお}と同じだ」
「それが、どうした、って」
くすぐったいのを我慢しているのが、音声によく顕れている。言葉を区切り区切り姫路が言うと、蓮が喉元で笑って姫路の名前を呼んだ。
「悠日。形勢逆転」
な?と言いながら、今度は左耳にも触れる。
ソファの上で膝を立てて、できるだけ体を硬くして蓮の攻撃をやり過ごそうとしている姫路が、虚しい抵抗の科白を吐く。
「ソファは、イヤだ、っつってたんじゃ、ねーの」
「時と場合による」
まだ湯の香りがバスローブの内に残るのを幽かに感じながら、姫路が自分と同じボディソープの香りがする蓮の体を受け止める。
「ついでに、白状しろよ。右耳のほうがいい、っていうのはどういう意味があるのか」
「怒りそうだから言わない」
すでに耳からは離れた手と唇で抱きしめられながら、姫路は少し持ち直したゆとりから、白状しろといわれた回答を拒んでみる。
「すぐに言うでしょ」
蓮の手が、すかさず姫路の耳を弄りに来る。
「卑怯者」
「言われると割と腹がたつな、その言葉」
蓮が笑うのに誘われて、姫路も喉の奥で笑って、耳を弄る蓮の指を自分の指でつまみあげて口に含む。「手は平気」と悠々としている蓮に、そりゃ、残念、とだけ返した。
「右の耳はさ、『守られる人』の印でもあるんだと」
「『守られる人』?」
「つまり、男が自分のピアスを片方、自分が守ってやりたい者に与えるんだ。自分ブランドのイヤータグだな」
「シュタイフのテディベアか」
ちょっと違うけど、と姫路は苦笑したが、ふと思いついて意地の悪い口を利いた。
「誰かさんは抱きついて寝るのが好きだから、テディベアもまんざら違わないけど」
一瞬何を言いたいかわからなかった蓮だが、姫路の言葉を反芻して、その意味がわかると、笑いが止まらなくなった。
「いいかも。それ。俺のテディベア、ね」
先日、互いに互いの腕を下敷きにして抱き合って寝ていたらしく、朝起きたら蓮は左手、姫路は右手の感覚がなくなっていた。そのときのことを姫路は言っているのだ。
「悠日」
「ん?」
「俺も、おまえのことを守れる」
「え」
もう一度、蓮の唇が姫路の耳にところに戻る。ピアスのないほうの耳朶を軽く噛まれて、軽いめまいを感じながらも、ささやかに虚勢を張って、このまま続けるんなら、料理の温め直しはおまえな、と姫路が言ったが、蓮からはその返事もなかった。

< 了 >

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